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ベイスターズ&スワローズ、この2チームの公平なファンとして。そのほか、
サッカー、モータースポーツ、スポーツもろもろ。ちょっと一息、音楽などまで、
ここは気楽なブログです。

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小説ラインナップ

新作ホラー小説 生と死のレゾナンス スタートします。
続発する怪死事件にはふたつの側面があった。ひとつは赤い服の女霊が目撃される
変死・怪死。もうひとつは善良な人々が突如として狂ったように引き起こす無差別殺人。
質の違うふたつの事件に共通するのは、『アミラの呪い』というキーワード。
呪いなど立件できない不可能殺人。かつて刑事という立場では追い切れなかった事
件の真相に、元警視庁捜査一課の警部だった宗像拳士(むなかた・けんじ)は挑む。
amila800.jpg
生と死のレゾナンス
一話 序章~呪いの使者
二話 二人の来客
三話 学者の推論
四話 科学と非科学




●27歳で戦力外通告を受けたプロ野球投手の再起を描く。
夏の北風 全34話

近日中に公開終了●諸国を流れる小粋な浪人、流れ才蔵。時代劇中編です。
流れ才蔵

近日中に公開終了●野球場で出会った二人のラブコメディ。短篇です。
野球なカップル

●ちょっと怖いホラーショートのコーナーです。
HORROR

小説のほとんどは推敲なしの書きっ放し、つまり下書きですのでそのおつもりで。
また、小説はすべてオリジナルです。著作権は放棄していませんから転用禁止。


●岡崎潤の小説サイト
潤文学書院
●こちらは小説ブログです。
女の陰影


 

●ちなみにリンクについて。
もちろんリンクフリーです。野球からリンゴの剥き方まで、まー、ぐずぐずのブログ
ですのでリンクするのはおすすめしません。また、こちらからのご勝手リンクにつ
いては相互リンクを求めるものではありません。リンクNOならご一報を。管理人

生と死のレゾナンス


四話 科学と非科学


 揃ってブルーリバーを出て調布駅のホームに立ったとき、三森の背後に寄り
添うように周囲を警戒する平沼刑事に、三森は言った。
「それにしても、そんなことってあるものでしょうか。呪いがどうとか、とても信じ
られなくて」
 平沼が言った。
「私だって信じてなんていませんでしたよ。突き落とされて、そのときチラッと赤
い服が眸にとまり、落ちて一瞬手をついたんですが、とっさに振り向いたときに
は誰もいない。ゾーッとしちゃって脂汗でしたから」
 平沼と三森の二人がそうして電車に乗り込んだ頃、ブルーリバーに残された
マスターの宗像、友紀美、そして篤子は裏口から出ようとしたところ。友紀美の
バッグの中で携帯電話が震えたのはそのときだった。着メロでわかるようにして
あったのだが、そのときは深刻な話の後でもあってマナーモードにしたままだっ
た。
「姉さんだわ。もう、ムカつく、遅いのよ」
 怒りだす友紀美の肩に、宗像はそっと手を置いた。

 友紀美の姉、真木亜沙美は、結婚して荻窪に住んでいたのだが、それも二月
ほど前までのこと。亜沙美はいま三十二歳。夫の原田弘樹(はらだ・ひろき)と
いう男はちょうど十歳上だったのだが、若い頃からジャズバンドにいたサックス
奏者。仕事で方々を飛び回り、ほとんどすれ違いの夫婦だったし、派手好きで
女癖が悪く、亜沙美は結婚当初から、この結婚は失敗だったと妹に愚痴って
いた。発展家だった亜沙美にすればフィーリングが合うというだけで男女の関
係に発展させた。失敗の元凶がそこにあった。
 その弘樹が急逝したのは半年前の惨劇が起きたすぐ後のこと。不摂生が祟
った心臓発作だったのだが、これには事件性はまるでなく、つまりは不倫相手
とのベッドで腹上死ということだ。
 呆れ果てた亜沙美は籍を抜いて旧姓に戻り、二人で暮らした2LDKのマンシ
ョンもいまでは独り暮らしの部屋となっている。それがあって時間ができて、亜
沙美はますますアミラの呪いを追うようになっていく。
 電話があって、いままさに出ようとした三人は店の中へと引き返した。

『平沼さんが襲われたそうね? マジなん? 赤い服の女なんだって?』
 亜沙美の声が漏れていた。亜沙美の留守電に入れたのは三森に会う前だっ
た。友紀美はかなりキレていた。
「マジに決まってるでしょ! あのね姉さん、それもあるけど、それどころじゃな
くなっちゃったの。帰って来てよ、いますぐ!」
『それムリだわ、もっか取り込み中だから』
「いい加減にしてよね、この極楽とんぼ! ヒルが出たのよ。小さな男の子が
血を吸われて大騒ぎになりそうなの。砧公園なのよ、この意味わかるでしょ!」
『砧公園? 世田谷の? ウソでしょ?』
「もう怒るから。ウソついてどうすんのよ! それでいま愛林大学の生命学なん
たらの学者さんがやってきてブルーリバーで話したところ。まさか姉さんじゃな
いわよね、毒ビル持ち込んだの」
 篤子がくすくす笑っている。生命学なんたらとは・・。冷静なら上品な友紀美
なのに言葉がだんだん荒れてくる。二十五歳と若い若い。宗像もちょっと苦笑
して友紀美の肩をぽんと叩いた。

「だって・・ムカつくんだもん・・」 と、ぼそっと言う友紀美。

『えっえっ? 何だって? 聞こえないしぃ?』
「こっちの話だわっ! いいから早く戻ってよ! その子を救おうとして大学の
先生だって必死なんだからね!」
 こりゃダメだと感じた宗像が横から手を出してスマホを引き継いだ。
「おぅ、ひさしぶり」
『あ、ヤだぁ、マスターいたの?』
 妹一人が相手と思ったようだ。いきなり女のニュアンスに。
「いたんだよ、悪かったな、ふふふ。まあ、ちょっと話もあることだし戻って来ら
れたらと思ってね」
『ごめんなさい、いまちょっと動けないの。よければこっちへ来てくれない? そ
れなら会えるし』
 漏れだす声に、友紀美と眸を合わせた宗像。
「いいのか行って?」
『いいわよ、もちろん。奥多摩湖のそばの民宿にずっといる。湖風館(こふうか
ん)よ。湖の風の館。湖の北側でダムからはちょっと遠いかな。国道411号を
ずっと来て蜂谷川渓流釣り場を目指せばわかるから。それより山ビルが出た
そうね?』
「うむ、そうらしい。四歳の子供がやられた。それより亜沙美」
『うん・・はい?』
「平沼が襲われたんだ、くれぐれもムリするな」
『ありがと。でも大丈夫。消えた人形を探そうとしてるだけだから』
「おっけ、わかった、電話じゃなんだから明日にでも向かうよ」
『明日? だって、お店は?』
「冷蔵庫が壊れたと思うことにする」
『あはは、何よソレ、マスターらしいわ。じゃあ明日。近くに来たら電話してって
妹に言っといて。どうせ一緒に来るんでしょ。じゃあね』
 ちょっと笑ってスマホを友紀美に返してやったが電話はすでに切れていた。
友紀美は呆れて首をすくめる。

 亜沙美の声はスマホを漏れて皆に聞こえた。友紀美は宗像に向かって眉を
上げ、行くのと訊くように眸を見開いた。今日は三連休初日の土曜日で日月
と休みが続く。そういう意味でもちょうどよかった。
 ここで宗像は一考した。今回は亜沙美と話すことが目的で探りを入れるつも
りはない。難しい顔をした男が一人で乗り込むよりも皆で遊ぶ感覚の方が自然
に映ることだろう。刑事だった頃の習性が抜けてない。用心深くなってしまう。
「奥多摩だと時間がかかる。明日の朝七時に店で。なんか軽く喰って出ようじゃ
ないか。篤ちゃんもな」
「はーい!」
 嬉しそうに笑う篤子。
「それから篤ちゃん、このことはしばらく伏せておくように」
「わかってまーす。ふんっ」
 子供扱いされたと思ったのか篤子はちょっと拗ねたそぶり。
 篤子の写真の師、石原が最初のキャリアであったなら、奥多摩湖が関東に持
ち込まれた最初ということになる。三森との話に付き合わせておいて仲間はず
れでは可哀想。これはドライブだと割り切った宗像だった。

 奥多摩湖は、北に秩父、西に山梨に接する東京との端境にあるダム湖。東京
都ではあっても湖面で標高五百メートルを超えていて、周囲の山々には九百メ
ートルを超える山もあり、自然の真っ只中と言ってもよかった。ダム湖特有の切
り立った湖岸に沿って道筋がのびていて、目指す湖風館はたやすく見つけるこ
とができていた。宿は湖岸から右に緩やかな坂を登ったところに建っていて、一
部がログハウスふうに造られた小洒落た民宿。建物前の駐車スペースから木立
の隙間に青い湖が透けて見えた。
 館の前には亜沙美が乗る赤いビッグバイク。宗像はバイクの横にシルバーメタ
リックのステーションワゴンを停めた。時刻は昼下がりでチェックインタイムには
早過ぎる。しかし連泊する亜沙美の部屋に転がり込むのだから問題ない。駐車
スペースにはバイクと宗像のクルマのほかに一台、白いランドクルーザーが停め
られていた。
 亜沙美は待ち構えていたようで、エンジン音を聞きつけてエントランスから現れ
た。ホワイトジーンに黄色いシャツを合わせ、トレードマークのような赤く染めた
ロングソバージュを風でなびかせ立っている。

 そしてその同じ頃、八王子にある東京愛林大学病院、伝染性疾患隔離病棟で
は、冷たいガラスを隔てた親子の対面に、担当医ではなかったが白衣姿の三森
怜香が付き添っていた。
 旧姓、中條~立花翔子と、わずか四歳の子供、亮との対面。幼い亮は、万一
のリスクを考えて隔離されているだけであり元気そのもの。ママがいるのにどう
してそばに行けないのか納得できるはずがない。ガラス越しに医療スタッフが往
き来しているはじめての空間を怖がって、出たいと言ってガラスを引っ掻いてい
たのだった。
 母親の翔子はたまらない。そしてそれを見守る三森はさらに辛かった。原因
が特定できていれば打つ手はある。自分自身の非力さを思い知る三森。
 泣きわめく我が子に後ろ髪を引かれながらも、翔子は三森に案内されるまま
大学構内にある生命科学研究室に連れて行かれた。普段なら週末はがらんと
しているのだったが、今日は十数人いる若い研究者が白衣姿で顔を揃える。全
員の目的はひとつ。リーダーの三森が亮の母親を連れて入って来たことで、ス
タッフたちは奮い立つ。何としても! そして早く!

 三森は研究室の手前にあるパーテーションで仕切られた会議スペースへ翔
子を座らせ、昨日ブルーリバーで皆に見せたのと同じ動画を、説明しながら翔
子に見せた。真実を知らせて心構えをしておいてほしいから。
 翔子には声もなかった。半年前にあった無差別殺人は報道で知っていても、
その同じ毒ビルが関連することは伏せられていた。パニックになるからだ。
 三森は言った。
「亮クン、可哀想で見てられないけどわかってね。みんなそのために必死でや
ってる。私たちだけじゃない、学外にも協力者はいますから」
 翔子は言った。
「それでも様子を見ないとわからない? このままずっと隔離して?」
 三森は、きっぱりうなずいた。
「念のため、まずは二週間。二週間して異変がなければ退院してもらっていい
けれど、その後しばらくはママとして経過を観ていてほしいのね。原因を特定し
てみせる。きっと」
 翔子は肩を落としてうなずいた。三森がその世界で優秀なのは知っている。
三森とは、ツアープロからリタイヤしてテニスコーチだった頃に大学の体育祭
に呼ばれたのがきっかけで知り合った。付き合いも長く、三森の使命感がどう
いうものかは知り抜いているつもり。あのまま町医者だけですませてしまえば
取り返しのつかないことになったかも知れない。ここは医学と科学の最先端。
専門家に任せるしかないのである。

 三森は言った。
「このこと、ご主人には?」
「もちろんよ。でもいまアメリカなのね。疑わしいって状態では帰れないって言
ってたわ」
 翔子の夫は大手商社のエリートで、一年の内の半分は日本にいない。それ
だけに母としては辛いのだった。私さえ注意していれば・・私のせいだと考えて
しまうから。三森は翔子の手を両手で握って眸を見つめた。
「希望はあるわ。このヒルは何者かによって持ち込まれたものですけど、それ
じゃ元々多くのヒルがいる山間部の人々はどうなのってことなのね。発症例を
聞かないからよ。明日にでも私とチームで調査に出るから」
「わかった。お願いよ、亮を救ってやって」
 突き上げる涙をこらえる三森の中で、それは怒りに変わっていった。

 湖風館。亜沙美の部屋は八畳和室。
 亜沙美は派手な部類の女だったが意外に古風なところがあって、旅の宿で
は必ず和室を選ぶという。宗像とすれば都合がよかった。洋間ではベッドの数
しか泊まれない。今夜は一泊。四人で雑魚寝になるだろう。
 畳の部屋の中央で大きな座卓を囲んでいた。宗像と友紀美の二人で三森と
いう学者それに平沼と話したことを亜沙美に告げた。
 亜沙美が静かに語りだす。
「ヒルなんて眼中になかったの。こんなことになるなんて思ってないし」
 それには皆がうなずいた。しかし亜沙美は首を傾げる。
「でも、それって妙な話よね。ヒルが最初に奥多摩に運ばれたのが三年前で、
一定の個体数に増えるまでの二年半は潜伏してたって話はわかるの。で、毒
ビルがらみの事件が起きたのは半年前、なのにそれから以降起きてはいない。
丹沢もだし、どこもかしこも毒ビルだらけだとすれば事件は他にもあっていい
はずよ?」
 宗像は言った。
「俺もそう思ったが、そこはどうだか。ここ数年の間にも、自殺や変死、無差別
殺人はあちこちで起きてるからね。それとこれが結びついていないだけかも知
れないし、いまさら掘れる話じゃないし」

 亜沙美はちょっと黙って、こくりとうなずき、そして言った。
「アミラがなぜ恐ろしいのか、そこから話すね。都市伝説に赤い服の女がある
けれど、アミラの恐怖はそんなものじゃないんです。あの人形には、まず三人
の女の怨念が宿っている。十五歳だったケイト、いいえ圭子を連れ去ったのは
当時の海軍の山科(やましな)大佐なんだけど、その家で家政婦だった人の娘
さんが去年まで生きていて話が聞けた。圭子は責め抜かれて殺されたそうな
のね。次にその母親よ。どうかこの子をお願いと言い残して託したのに、育ての
親だった丸尾尚吾(まるお・しょうご)は、実子の楓、そして一家の生活を守るた
めとは言え差し出してしまったわ。これにママのキャサリンは怒ったの。だけど
もっとも怖いのは丸尾の実子だった楓の怒りよ。大好きだった姉を男どもに殺
されて、形見代わりに戻されたアミラさえも実の親は燃やそうとした。丸尾とそ
の妻、つまり父と母は長くは生きられなかったそうなのよ。三人の女の恨みを背
負ってしまったから」
 宗像は淡々と、友紀美は冷静に、しかし篤子は眸を輝かせて聞いている。

 亜沙美は続けた。
「楓は可哀想なアミラを、ここから近い尼寺に託し、しばらくは尼寺に留まってい
たんですけど、楓もまた綺麗な子でね、戦争の疎開でここらに集まって来た人
たちの中にも男のクズはいるもので、色目を使われ、愛想が尽きて消えてしま
った。それきり二度と姿を見せなかったということよ。それはアミラへの想いを
この地に残しているということなんです。さらに悪いことに尼寺には救いを求め
て不幸な女たちが押しかける。本堂にある如来様の横に置かれていたアミラは、
女たちの苦しむ姿を嫌というほど見せつけられた。アミラの中に女たちの怨念
が鬱積していき恨みの塊のようになっていく。代々の庵主様が供養なさり、それ
でどうにかおとなしくしていられた」
 宗像が問うた。
「そのアミラを実際に見たんだろ?」
「数年前から何度か姿を見てますし、最初のときは先代の庵主様にお願いして
一夜を本堂で過ごしたのね。そしたらどうよ、数え切れない女霊たちに囲まれ
てしまったわ。その中に圭子や楓、キャサリンの姿もあった」
 ぅぐぅ・・と篤子が唾を飲む喉鳴りがした。篤子が言った。
「怖くなかったの? 何もされなかった?」
「それは大丈夫。霊感があるからお姿が見えるでしょ。それで一人ずつお顔を
見て拝んであげると、相手は自分に気づいてくれる人だと思う。それが供養に
なるんです。そのへんの事情を知って会いに来るのは私ぐらいのものなんだし
ね」

 そして亜沙美は、宗像の眸を見つめて言った。
「あの事件・・ほら友紀美の」
 宗像は静かにうなずいた。
「私にとって友紀美は分身のようなもの。身を切られた思いがした」
「・・姉さん」
 姉妹の絆と言ってしまえばそれまでだが、二人の視線の交差に宗像は胸が
熱くなる。
「三年前のあのことがあってから私はもちろんアミラを訪ねた。どうか妹を救っ
てあげてとお願いしたのよ」
 聞いていて友紀美の眸に涙が浮いてくる。
「ふふふ、そしたら・・」 と亜沙美が言いかけたとき、宗像がぴしゃりと言った。
「もういい、終わったことだ。今日来たのはそれを話すためじゃないんでね」
 宗像は亜沙美に微笑んで、うんうんとうなずく素振り。
 亜沙美は亜沙美で、ちょっと微笑み一度だけ『うん』とうなずいた。
 宗像は眉を上げて言った。
「それで? アミラは見つかりそうなのか?」
 亜沙美は力なく首を横に振って言うのだった。
「念は感じる。近くにいるのは間違いないと思うんだけど、でもちょっとヘンな
のよ」
「ヘンとは?」 と、友紀美が問うた。
「お寺の周辺が特にそうなんだけど、何かこうモヤモヤとした怪しい気配が漂
ってる感じなの。森というのか山というのか、そこらじゅうに邪念が蠢いてる気
がするわ。前はそうじゃなかった。なのにいま、何かが違うとしか言えないけれ
ど妙な念が膨張しだしてる気がするの」

 そのとき横から篤子が言った。
「お人形が消えたのは二年前でしたよね?」
「そうよ」
「そのときお寺を出た尼さんか寺男が持ち出してしまったとか?」
「それはない」
「どうしてそう言えるの?」
 亜沙美は微妙に笑って応じた。
「先代の住職さんが還俗(げんぞく)なさったからよ」
「還俗って?」
「僧侶を辞めて女として俗世間に戻ること。先代の住職さんは五十前の綺麗な
女性だったのね。以前に寺男だった人が高齢で去っていき、次の人が五十代
の男性だった。住職に想いを寄せて結ばれたってことなのよ。第二の人生を踏
み出そうとする二人が怨念のつまったアミラを持ち出すはずがないでしょう」
「ふーん、そうなんだ・・そんなことってあるんだね、尼僧さんの恋って言うのか」
「もちろんあるわよ。僧でも女なんだし、逆に愛に苦しむ女たちをみてきた分、
想いは深くなっていく。ついで言うと、そのとき修行僧だった人は若すぎて引き
継げないということで鎌倉にある明浄院(みょうじょういん)という尼寺に戻って
行ったそうだから。いまの住職さんは香妙尼(こうみょうに)という名で四十代。
その明浄院から送られた尼僧さんよ。寺男は佐久田(さくた)と言って六十代。
若い修行僧は若蓮(じゃくれん)さんて言うんだけど、文字通りの若い女の子。
二十二なんだって」
「へええ、二十二か・・」
「実家が山梨にあるお寺だそうで、そこの跡取り娘なんだって。いまは僧侶で
も結婚が認められることが多いらしいし」
 篤子は何を思ったのか、ちょっと笑ってうつむいた。思い描く法衣をまとった
尼僧のイメージと愛欲に狂う女の姿が重なったのかも知れなかった。

 それから亜沙美は視線を篤子から宗像へと静かに流した。
「でもアレね、わけがわからくなってきた。ヒルにエイリアンが寄生するとか・・
それはともかく、ヒルにやられた人が狂って人を襲うのはわかる気がするけど、
そのときどうして『アミラの呪い』なんて言うのかしら? それじゃまるでアミラの
念がヒルに取り憑いて・・怨念が感染してるみたいよね?」
 怨念が感染する・・言われてみれば確かにそうだと宗像は考えたのだが、そ
れもまた説明できない話。宗像は言った。
「理解に苦しむとしか言えないね」
 それに亜沙美もうなずいた。
「お寺から持ち出されて供養されなくなったアミラが暴れだしたってこともないと
は言えないけど、それにしたって無関係な人を襲ったりはしなし無関係な人の
恨みなんて、それこそアミラには関係ない話だわ。一方で毒ビル事件を捜査し
ていた平沼さんを襲ったのは赤い服の女・・つまりアミラ。そう考えるとアミラの
念がヒルに取り憑いたと思うしかなくなってくるでしょう?」
 篤子が言った。
「まるでアミラの手下みたい」
「そうなのよ。だけどそんなことってあるわけないじゃん。あるわけないけど、ア
ミラとヒルのつながりは否定できなくなっている。だいたいヒルなんてそこらじゅ
うにいるわよ。血を吸われて狂うとすれば事件だらけになっちゃうし」
 友紀美は問うた。
「このへんでは聞かない?」

 亜沙美は当然と言うようにきっぱりうなずいた。
「聞かないよ、平和なもんだわ」
 宗像は言った。
「それを確かめに来たわけで。いまも言ったようにヒルの地元ではどうなんだい
ってことになる。小さな山里なんて壊滅する」
 友紀美が言った。
「三森さんの調査待ちよね。地元の人には影響しない何か・・それは水とか」
 しかし亜沙美は首を傾げた。
「そういう問題なのかしら? 科学じゃ片づかない話じゃない? アミラの怨念
と関連するならアミラを止めなければならないし、もうひとつ、それに手を貸す
誰かがいるってことなのよ。都心にヒルを持ち込む誰か・・」
 亜沙美は宗像を見つめて言った。
「そこで気になるのが楓の存在と、これはいま話を聞いてふと思ったんだけど、
キャサリンの存在なのね。楓はすでに死んでいる。けれど子や孫がいるんじゃ
ないか。また乳飲み子を連れたキャサリンはなぜ日本を目指したのか?」
 それに対して篤子が言った。
「当時の台湾で何かがあって逃げ出したとか? 日本にはケイトの父親か、あ
るいは家族か、それでもなければ友だちがいて、だから頼って逃げ出した」
 友紀美が言った。
「そう考えるのが自然よね。キャサリンは脳疾患だったそうだから、すべてを言
えないまま死んでしまった。日本で待つ誰かはキャサリンの子を探し続けてアミ
ラの人形の存在を知った」
 亜沙美が言った。
「もっと自然なのは楓だよ。楓には子孫がいて、何らかの理由でアミラを持ち出
した・・でもね友紀、どっちにしたっていまさら何でって疑問が残るわ。終戦から
でも七十五年、それ以前の話なのよ」
 宗像は言った。
「アミラの人形なんだが、育ての親が後になって与えたものらしいな?」
 亜沙美は返答に困った様子。
「調べた範囲では、船員だった父親が後になって外国で買ってきたものらしい
のよ。当時のことは、さっきも言った山科の家の家政婦だった人の娘さんに聞
いたんですけど、もう亡くなられてしまったし」

 アミラの人形の存在を知り、それと毒ビルとの関係を知った誰かがヒルを都
心に持ち込んだ・・そう考えるのがスジだろうと宗像は思い、ハッとする。
「三つの事件か・・なるほど」
 アミラの呪い・・毒ビルがらみの殺し・・そしてその毒ビルを利用した無差別殺
人。最後のひとつのみが犯罪行為ということになるわけだ。

生と死のレゾナンス 三話


三話 学者の推論


 それから三森は、誰に言うでもなく山ビルの生態を語りながら、アルミケースで
持ち込んだノートパソコンをテーブルに置いて立ち上げた。
「それでなくても山ビルは棲息域をひろげています。理由はいくつか考えられます
が、ヒル本来の環境、つまり山奥で生きる上で宿主となる猪や鹿が増えすぎて里
に降りてきたのが原因とも言えるんですね。キャンプやハイキングで山へ入る人が
増えたのも一因となっている。吸血されていることに気づかず移動して別の場所で
ヒルが離れる。そこで卵を産んで繁殖するということです」
 パソコンが立ち上がる。三森はいくつかのファイルを呼び出してクリックしながら
言った。
「これまでにわかったことを動画にまとめてあります。最初はこれ」
 四分割された静止画のひとつをクリックするとモニタサイズ全画面の動画がスタ
ートする。山ビルと毒ビルがそれぞれ左右に別画面として動きはじめた。
「普通の山ビルとの比較です。左が普通の山ビルで、体表が茶色がかって縦に
黒っぽいスジがありますね。それが毒ビルでは体表がいくぶん赤く、さらに真っ赤
な縦スジが浮き立っている。体の大きさそのほか、そこはほぼ一緒と思っていい
でしょう」

 双方ともに尺取り虫のように体を曲げ伸ばして這い回り、尻を下に頭を上げて振
り回し、獲物を探しているようだ。三森は言った。
「体の両端に吸盤があり、頭の方に口。口には微細な牙がならんでいて動物が
発する呼気や振動を察知して皮膚に取り付き吸血します。そのときヒルジンとい
う麻酔と血液凝固を防ぐ成分を出しますから、食いつかれても痛みもなく、血を吸
って離れた後も血が固まらず、しばらく出血することになる。卵から生まれて数度
の吸血で成体となるわけですが、成体となってからは一度の吸血で二年近くも生
きのびる。雌雄同体でありながら交尾もし、一度に数個の卵を産みます。厄介な
のは、いまのところ天敵と呼べるような生物がいないことで、駆除には薬品を用い
るしかないでしょう」

 大写しになるとどうにもグロテスクなバンパイヤであったが、友紀美も篤子も眸
を逸らさず見つめていた。三森のクリックで次の動画へ。
「次に、この両者を一緒にしてみたわけですが、ご覧のように、まるで交尾する
かのように毒ビルが山ビルに巻き付いて襲っている。襲われた山ビルは体を食い
荒らされて死んでしまう。普通の山ビル同士ではこんなことは起こりません。そう
して他種を排除しようとする。毒ビルは攻撃的だと言えますね」
 皆が息を詰めて見入っていた。
「さて次です。これがヒトを狂わせる証拠となるもの。二頭の子豚に、片方は山ビ
ル、片方は毒ビルを合わせてやって吸血させてみたわけです。双方ともに同じ
ように血を吸って膨らんで自ら離れていくのですが・・これからは時間の経過が
必要ですので二十四時間分を割愛してあります」
 映像が中飛びして次に再生となったとき明らかな違いが表れた。
「いかがでしょう? もうおわかりかとは思いますが、山ビルに吸血された豚は何
事もなく平然と餌を食べていますが、毒ビルに吸血された豚はヒィヒィ声を発して
体を震わせ、蹴ったり跳ねたりして暴れています。明らかに何らかの成分によっ
て狂った状態にあると言っていいでしょう。お見せできるのはいまのところこれだ
けなんです」

 そして三森は、ノートパソコンを閉じながら独り言のように言うのだった。
「なのに何も出ません。何らかの細菌かウイルスか、それでもなければヒル自体
が分泌する成分によって脳が影響を受けている。それしか考えられないのにヒル
の体内からでさえ何も検出できないんです。そこで私は、私なりの仮説を立てて
みたんですね。よろしいですか皆さん、飛躍にもほどがありますがお聞きになり
たい?」
 三森が皆を見渡して、皆それぞれにうなずく素振り。
 三森は言った。
「未知の生命体ではないかということです」
 皆はそれぞれ顔を見合わせ、それからふたたび三森を見つめた。
「じつは、いまから三年ほど前になりますが、私たち研究者数名で調査に出た
ことがあるんですね。新種の生命は発見できないか。たとえば治療薬に応用で
きるような成分を持つ新しい生命体はいないものかということで。そのとき場所
はトカラ列島、九州の大学との合同調査でした。そしてそのとき私たち愛林大
学のグループは屋久島に渡りました。山ビルというなら屋久島にも棲息していま
すが、そのときの目的はそれではなかった」

 三森はそこで言葉を区切って、すっかり冷えた珈琲で唇を湿しながら、ふたた
び皆の顔を見渡した。
「続けます。で、そのとき屋久島の縄文杉へと通じる山道を歩いていて、道筋
を補修するために海岸から持ち込まれた多くの石を見たのですが、その中に
一抱えほどの隕石を見つけてしまった。おそらくその石は波に揉まれて欠けた
か割れたか、滑らかな丸い部分と近年割れたと思われるゴツゴツした面がある。
そしてそのゴツゴツして割れた面に分厚い石灰質でできた、ちょうど小さな丸い
卵を半分に割ったような凹みがあったんですね。パチンコ球を半分にしたほどの
大きさの半球体だったんです。隕石そのものは鑑定の結果、いまから五百年か
ら千年ほど前に落下したものだろうということになりました。落ちたのは海でしょ
う。高温の隕石が急激に冷えるとバラバラに砕けてしまう。しかし陸上に落下し
たときのように溶けたりはしないはず。で、その破片が波に揉まれて丸くなり、
あるときまたパカッと割れたということです。おそらくは波で打ち上げられたとき
の衝撃で」

 おおよその見当はついた。とんでもない飛躍だと宗像は考え、そして問うた。
「宇宙から飛来した生命だと?」
 三森はうなずく。うなずいて、しかし眉を上げてかすかに鼻で笑うのだった。
「私はそう主張したんですけどイッパツ却下ということで。当時の私は三十二
歳で学会では小娘もいいところ。アホぬかせでしまいでしたね」
 三森は関西人? じつは面白い女性のようだと宗像は想像した。
 三森は言った。
「石灰質というなら南の海は珊瑚の楽園。隕石であることは間違いなくても、
割れ目にできた半球形の凹みに珊瑚か貝が張り付いたものだろうということ
で。地球外生命なんて、まともに取り合う学者は少ないものです」
 苦笑した三森。しかし三森は真顔になった。
「未知の生命体が眠りから覚めた。何かの拍子に屋久島にいる動物か、あ
るいは山ビルに寄生した。うーん、あるいはそのとき突然変異でもともと地
球にいた生命体を変異させてしまうこともないとは言えませんし」
 平沼が横から問うた。
「しかし先生、屋久島のそれがどういう経路で関東へ? いまのところ首都
圏以外で類似する事件は起きていない。九州でも四国でもそれはない。し
かるになぜ?」

 三森は、それについても明解に応じたのだった。
「目覚めてしばらくは個体数が少なかった。地球環境になじめず死んでいっ
た仲間もいたでしょう。しかしわずかに生き残った。生命というものは、たと
えば病原菌などもそうですが個体数がある一定のレベルに増えて悪さをす
るもの。最初のうちは生きられる環境を探すのに必死だった。そして生き残
った個体が何かに寄生するとかして人体に入り込み、飛行機の時代ですか
ら中をとばして関東に持ち込まれた。最初の一人がファーストキャリア。その
人が関東の山で普通の山ビルに吸血されて、人体の中で増殖していた生
命体が山ビルに乗り移る。考えられないことじゃありませんわよ」
 友紀美が問うた。
「そこでもまた、一定の個体数になるまで潜伏していた?」
 三森は人差し指をピンと立てて友紀美に向け、にこりと笑った。
「屋久島を訪れる人はたくさんいます。しかしおそらく三年前のある期間・・
つまりその生命が生きていられた間に接することのできた人じゃないと難
しいかと」

 と、そのとき、それまで黙って聞いていた若い篤子がマスターの横顔へ向
けて小声で言ったのだった。
「それなら先生がそうなんだし」
 三森が見つめ、宗像が見つめ、皆が篤子へ視線をやった。宗像は問うた。
「それは? 先生がそうなんだしとは、どういうことだ?」
「だって石原先生は、その頃トカラの海も撮ってるし、続いて奥多摩湖でしょ、
丹沢湖でしょ、それから芦ノ湖、うーん、そのほかいろいろ写真撮るのに潜
ってるもん」
 篤子はちょっと思い出そうとするしぐさ。そして言った。
「そう言えば先生言ってたわ、山の中の湖べりにいるとヒルにやられて血だ
らけだよって笑ってて」

 三森は唖然とした面色で篤子を見つめた。篤子が水中カメラマンである
石原が起こした写真塾の学生であることは宗像が補足して三森に伝えた。
 三森は問うた。
「トカラの海は三年前なのね? 確かにそう?」
 篤子は言った。
「そのパソコン、ネットできます?」
「もちろんできるわよ」
「だったら石原哲哉スペース水中写真て入れてみて。写真と撮影データが
出てくるから」
 三森はふたたびパソコンを操作した。トカラ列島の海を撮った写真が何
枚も並んでいて、その中に、ついでに一枚という感じで縄文杉が映ってい
る。撮影日時はちょうど三年前の今頃のこと。
 そしてその作品のすぐ後に奥多摩湖の水中写真が並んでいて、それが
撮影されたのはトカラの写真から一月ほど後のこと。ネット上には丹沢湖
そのほかは公開されていなかった。
 しかしおかしいと三森は思う。
「じゃあ篤子さん、その先生に何か変わった兆候のようなものはなかった?
奇声を発したり、そのほか何でもいいんだけど?」
 篤子は大袈裟に手で扇ぐようにして、それはないと笑った。

 時期的には符合する。屋久島に続いて山奥の湖という点でもぴったりだ
ったし、ヒルにやられて血だらけという点でも、まさに。
 泳ぐときにはウエットスーツと足にはフィン。それを脱ぐときヒルには獲物
というわけだ。しかし、なのになぜ狂わないのか? 納得できない三森で
あった。
 なにげに平沼が言った。
「その時点ではまだ毒性はなかったとか? そういうことって考えられませ
んかね?」
 三森は応じた。
「科学者の立場としては想像で言うべきではないでしょうが、あり得ない
話じゃありませんわね。生命は変異します。目覚めた当時は赤ちゃんだ
った、大きくなってグレちゃったとか・・ふふふ、それはないかも・・うん、た
ぶんないわね」
 舌先をちょっと出して笑う三森。インテリっぽい見かけによらず楽しい人
だと皆は感じたのだが・・。
 三森はちょっと落ち込むように笑顔も消えて、誰にとはなく言うのだった。
「中條・・じゃなくて立花さんの坊やは亮クンと言って四歳なんです。吸血
されて狂ったのは大人ばかり。子供だとどうなるのかわかりませんが、何
としても救ってあげたい」
 そこで友紀美が言った。
「その子は、いまは?」
「当大学の病院で検査中です。こんなことはいままでなかった。伝染性を
考慮して念のため隔離して、徹底的に検査をし、場合によっては抗生物質
も・・罪を犯した人たちの話によればキャンプから戻って十日しておかしくな
ったということですから、まずは二週間ほど様子を見ようということになって
ます。怖がって泣いちゃって可哀想に。亮クンのことがなければ私は科学者
でしたが、そんなものをバラまいた人が許せない」
 宗像はうなずいて言った。
「だとしても引っかかるところはありますね。丹沢や奥多摩の地元の人はど
うなんだろうと思ってしまう。屋久島でもそれはそうだし。大人はまだしも子
供らは短パンで走り回っているわけだから」
 三森は言った。
「それももちろん考えました。毒ビルにやられれば必ずそうなるものかしらっ
て。それもあって現地へ行ってみようと思ってます。食べ物とか水とか、都
会との何らかの違いで発症しないとしたら希望はありますからね」

 それから三森は明らかな興味を貌に示して、友紀美に向かって言った。
「あなたが真木友紀美さんですよね?」
「ええ、そうです」
「罪を犯した人たちは『アミラの呪い』がどうこうといったようなことを叫んだ
と聞いています。それって、いったい何なのか。聞けばお姉さんに霊感が
おありのようで、長くアミラの呪いを追いかけていらっしゃるとか? じつを
言うと、そのへんを知りたくてやってきたのが本音なんです。呪いなどという
ものと毒ビルがどうつながるのか。何としても亮クンを・・必死なんです私」
 友紀美はちょっと平沼を見て、それから言った。平沼が赤い服の女に襲わ
れた直後でもあったからだ。
 友紀美は言った。
「姉はいままさにその奥多摩にいるはずです。ふらりと出たきり一月ほど戻
って来てない。毒ビルの事件があって姉もそこに注目しました。それとこれ
がつながるはずがない。アミラの呪いについては姉から聞かされた範囲で
よければお話しできますけど」
 そのへんのことについては、宗像は三年前の友紀美がからむ事件の捜査
で一通りは聞いていた。しかし当時は半信半疑だったこと。また警察を辞め
てから一年あまりが過ぎていて記憶から消えはじめていたことでもあった。
 宗像も平沼も、もう一度聞こうとして友紀美の面色を注視しながら、宗像が
そばに座る篤子に言った。
「篤ちゃん、悪いけど皆にジュースか何か」
 篤子は微笑んで席を離れ、カウンターを回り込んでグラスを並べた。

 友紀美は、嫌な過去を思い出すことになる話題について静かな声で語りは
じめた。
「昭和のはじめのことだそうです。当時の横須賀に住んで外国航路の船員さ
んだった若い男性がいて、あるとき台湾から日本へ向かう便に、キャサリン・
ウォーレスという若いママと、そのとき乳飲み子だったケイトという可愛い女
の子を乗せたんだそうです。ところが船旅の途中でママが亡くなり」
 三森が問うた。
「亡くなったの? それは事故?」
「脳疾患だったそうですけどね。それで幼子だけが残ってしまった。当時の台
湾のことですから身元の調べようがないのと、そのために引き返すわけにも
いかない。この子をどうするってなったとき、その船員さんが不憫に思って引
き取って、当時の日本ですからケイトのままではちょっとということで、響きの
似た圭子と名付けて育てていた。その船員さんは結婚したばかりで子供は
まだいませんでした。そしてその二年後に実子となる娘さんが生まれたんだ
そうです」
 そう言えばそうだったと宗像は記憶を掘り起こしつつ聞いていた。
 友紀美が続けた。
「そしてあの戦争です。そのとき圭子は十五だったかしら。当時の横須賀に
はもちろん米軍基地なんてありませんし、軍部が掌握して殺気立っていた
そうです。そんな中で青い眸の少女とは敵国の血でしかない。船員さんの
暮らした街でも軍に目をつけられたらたまらないということで村八分の状態
に・・日本人の妹さんまでが虐められていたそうなんですね」
 三森はちょっと眸を伏せて聞いていた。話の先が想像できたからだろう。

 友紀美は言った。
「そしてあるとき軍の・・大佐だったが大尉だったか、名前までは知りません
が、何人かの兵隊がやってきて娘を差し出せということになったわけです。
圭子は金髪でそれは綺麗な娘さん。つまりは難癖をつけてモノにしようとい
うことで」
 三森は言った。
「あり得る話ね。戦争は人を狂わせますから」
 友紀美はうなずいて、さらに言った。
「圭子のご両親も実子の娘を守れるならと思ったのか、圭子を差し出してし
まうんですけど、そのとき持たせたのが圭子がずっと大事にしていて可愛が
っていた『アミラ』と名づけられたお人形だったんです。赤いドレスを着せた可
愛いお人形だったそうですけど。圭子はそれきり消息を絶ってしまう。ところ
が、そんなことがあってから、その大佐だかの一家一族すべてが恐ろしい死
に方で次々に死んでいった。軍の部下たちも含めて二十五人ほどだったそ
うですけどね。これは呪いに違いない、恐ろしいということで・・」
 三森はちょっとうなずいて聞いている。
 友紀美は続けた。
「そんなことがあったもので、大佐の家に出入りしていたお手伝いさんがお
人形を持ち出して親元へ返そうとしたらしいんです。でも親にしたって・・圭
子はきっと生きてはいまい・・見捨てたのは我々なんだし、そんなものは置
いておけないということで燃やしてしまおうとしたようです。これに妹さんが
怒った。妹さんは確か、楓(かえで)という名だったと思いますが、アミラを
抱えて家出しました」
「お人形は姉さんそのものだったんですね」
 と悲しげに言う三森。いつのまにかテーブルにはオレンジジュースが置か
れていたが、口をつけようとする者はいなかった。

 友紀美はちょっと眉を上げて首を傾げ、さらに言った。
「実の姉妹のように仲がよかったということです。それで楓は、誰に聞いた
のかはわかりませんが、奥多摩の山中に明治の頃から続く尼寺があって、
そこを頼って行ったようです。お寺は葉っぱの山と書いて葉山院(ようざん
いん)。いまでも続く尼寺で、住職さんはもちろん何代も引き継がれていま
すけど、お人形はお寺で大切にされて供養されていたそうです。ところが二
年ほど前、いまの住職さんに引き継がれるときにお人形が消えてしまった」
 三森は貌を上げて問うた。
「なくなったの?」
 友紀美はうなずいて、いつのまにか置かれてあったジュースに口をつけ、
ちょっと平沼を見てから続けた。赤い服の女への確論に近づくからだ。
「葉山院は代々、住職さんと若い女性の修行僧、それに寺男を加えた三人
でみているお寺なんだそうですが、先代の住職さんが辞されるときに寺男
だった人も一緒に身を引いている。若い修行僧では心もとなくて引き継げな
いということで半年ほど放置された時期があるんだとか。それでその後、次
の住職さんが入られたときにはお人形はなかったそうです。姉はそこを探っ
てるみたいなんですね。霊感の強い姉ですからアミラの発する念を感じるこ
とができるそうで、何としてもアミラの行き先を突き止めると言ってききませ
ん。もう一か月よ。ほとんど連絡もくれないし」
 三森は言った。
「友紀美さんにそれはあるの? 姉妹なんですもん、霊感というのか?」
 友紀美は苦笑して首を振った。
「ないですね。私と姉は母親が違いますから、そこが差だと思うんですが。
でも三森さん、姉は決して霊能者ではないんですよ。霊感が強くて幽霊が
見えるというだけで、呪詛だとか、そんな怖いことのできる人じゃないんです。
今度の事件のことでも姉は首を傾げていました。アミラの呪いと毒ビルとい
う生物・・どう考えてもあり得ない話でしょう。いまの私が言えることはそれだ
けです。姉と話した範囲だけ・・」

 と、そこで、それまで黙っていた平沼が三森に向かって言った。
「駅のホームから突き落とすなど類似する事件のようですが、赤い服の亡
霊が目撃される事件と毒ビルがからむ無差別殺人の二通りがあるんです。
赤い服の亡霊のほうは、ただ黙って突き落としたりするだけですが、毒ビル
のからむほうは『アミラの呪いを知れ』などとわけのわからないことを叫び散
らす。ヒルに狂わされて犯人にされてしまったというべきなんでしょうが、い
ま犯人の二人は別々の病室にいながら『悪霊はいる。呪いはある。赤い服
の女は確かにいる。背後に忍び寄って来てささやくんだ』・・などなどと口を
揃えて同じようなことを言うそうです。それを無事だった仲間の二人に訊い
ても、あの二人に霊感があるなんて話は聞かないって言うわけですよ。もう
何がなんだか・・」
 困り果てた様子の平沼。
「しかしよかった」 と、宗像は平沼を見た。平沼は、もうたまらないと言うよ
うに首を振りながら言うのだった。
「これは警告。電車が入るタイミングじゃなかったし、つまりは線路に飛び降
りて身を翻しホームに戻ったといった感じでしたから。突風に背中を圧され
た気分だった」
 宗像は眉根を寄せて眉間をちょっと掻くようにしながら言った。

「ううむ、しかし・・釈然としないものが残るよな。赤い服の女を追及している
わけじゃない。毒ビルの件を捜査していて、しかるになぜアミラが警告する
のか。こじつけて言うなら・・」
 言葉を区切った宗像に、皆が視線を寄せていく。
「毒ビルを操るのはアミラということになり、邪魔をするなと言いたいわけだが、
それでは説明になっていない。これは友紀ちゃん・・」
 と、横目を向けられ友紀美は言った。
「わかってます、姉さんに会わないとはじまらない。まったくあの極楽とんぼ・・
連絡ぐらいくれてもいいのに」
 一通りの話がすんで、三森はジュースに口をつけながら皆に言った。
「今日はお店まで閉めていただきありがとうございました。帰りますね。研究
室に戻って徹夜が続くと思います。コレを。些細なことでも結構です、何かあ
ればご連絡をいただければ」
 コレをと言って名刺を差し出す三森。平沼に、宗像に、そして友紀美にも篤
子にも。篤子もまた写真塾の先生が絡むかもしれないということで外野では
なくなった。三森は立ち上がってアタッシュケースを手に取った。偶然にも平
沼が住む八王子に大学はある。方向が同じということで平沼も帰ると言う。

 最後に宗像は平沼に問うた。
「それで突き落とされた件と毒ビルの件だが?」
 天井を顎でしゃくる宗像。上には報告したのかということ。
「もちろん連絡済みです。しばらく休めと言われましたよ。疲れてフラついた
と思われたようで、おまえヨッパケてないよなって言われましたわ」
 篤子が、ぷっと笑った。平沼は酒好きで臭い息を吐いてやってくる。
 平沼は言った。
「公園の件では、事が確定しない限り、下手に手を打つとパニックになって
しまう。まずは調査。ヒルがいると断定されれば保健所に通報して駆除す
るということです」
「悠長だわ、何よそれ、公園なのよ」
 三森はちょっと怒ったようだ。
 宗像は言った。
「平沼としてはしかたがないんですよ、上の指示がすべてなんです。彼だ
って懸命にやってます。駅のホームから突き落とされたわけだから」
 三森はしまったというような面色で平沼に言った。
「ごめんなさい、亮クンのことがあって焦ってるから」
「ややや、なあに。お気持ちはわかります、気にしないで。じゃあ行きましょ」
 平沼に背を圧されて三森が出て、ブルーリバーのシャッターが閉ざされた。

生と死のレゾナンス 二話


二話 二人の来客


 事実の究明のみを目的とした捜査に関わった平沼が襲われたことは、かつて
上司として苦楽をともにした宗像を怒らせた。これ以上踏み込むなら殺すという
意思表示。剣道家でもある平沼だからよかったものの、これが並の人物ならば
消されていたかも知れない。
 宗像は思う。あの頃の俺は刑事。呪いなどというまがまがしいものを、いつまで
も追いかけてはいられなかった。不可能犯罪は警察捜査の範疇をこえている。
平沼には妻と幼い子があって、これ以上深入りさせてはいけないとも思う。
 もしも仮にアミラの呪いを行う何者かがいたとして、迫る相手が警察でもない俺
であれば追い詰めることにはならないはずだ。過去の罪を掘り返すつもりもなか
ったし逮捕権さえ持ってはいない。相手の真意を確かめて次の事件が起きない
よう説得するぐらいのもの。呪いで人が殺せたとしても証明できる手段はない。
白状したところで罪には問えないのだから・・。
 三年前の真木友紀美の事件についても決着がついていない。一度は過ぎ去っ
た事件だったが整理できない思いだけは残っている。もう一度そこへ立ち返り、
刑事を生きた人生にケリをつけたい思いがあった。妻子を捨てて刑事からも逃げ
た俺など男のクズ。つきまとう負い目を晴らしてはじめて俺の人生はリセットでき
ると思うのだった。

 平沼からの電話を受けて宗像はまず、アルバイトで店に来てふた月ほどが経
つ相馬篤子(そうま・あつこ)に貼り紙を書かせ、シャッターを半分降ろしてしまっ
て店の後片付けにとりかかる。冷蔵庫が故障して閉店ということにした。
 篤子は、同じ京王線で少し先の府中にある石原写真塾に通う学生で、いま二
十歳。石原写真塾は個人が運営する写真学校だったのだが、塾長の石原哲哉
(いしはら・てつや)は海洋や湖などの水中写真のパイオニアとして知られた人
物。学校に通うというより弟子入りしたと言ってもよかった。石原は六十歳。息子
の耕平、二十二歳も写真家で、水中写真の親子鷹と評判も高かった。

 それまでカウンターにいた客の真木友紀美は、すぐ近くの自宅に一度戻って洗
濯物を取り込んで、すぐまた戻ってくる手はず。平沼が着くまで小一時間はかか
るだろうと思われたし、姉の亜沙美の話になるからいてくれないと意味がない。
友紀美は二十五歳で独身。事件つながりで、当時警部だった宗像の口利きで警
察職員として働いていた。

 宗像は、カウンターの中にいて厨房を片付けながら記憶をたどった。最初にア
ミラの呪いに接したのは、いまから三年前のあの事件・・いっとき友紀美がいなく
なってくれたことでリアルに回想することができていた。

<事件1>
 発端となった怪死事件が起きたのは、いまから正確に二年と九か月前。当時
大学四年生だった友紀美にすれば学生生活最後の冬。友紀美は同じ大学で同
期の男三人、女が一人、それに友紀美を加えた四人で白馬へスキーに出かけた
のだ。
 その女友だちを仮に女Aとして・・友紀美と女Aは高校からの親友だったが、女
Aには一級上で社会人となっていた恋人がいて友紀美にも共通する知り合いだ
った。これを男Aとする。
 友紀美は男好きする可愛いタイプ。男Aは一方的に友紀美に対して想いを寄
せた。これが女Aに気づかれてしまい三角関係へと発展していく。しかし友紀美
にとっては意識にないことで、だからスキーも一緒に出かけた。
 そしてその夜、宿で・・そこそこ酒も入り、何かの拍子で話が向くと、女Aは友紀
美が許せなくなっていく。そのとき友紀美が『私のタイプじゃないんだし』と不用意
に言ったことで怒りに火が付き、友紀美は女Aを含めた友人四人に性的な乱暴
をされてしまう。レイプとまでは言えないもののSMチックな乱暴だったということ
だった。
 それは後になっての捜査段階で大学の悪友たちから聞き出せた証言だった。

 さて。そしてスキーから戻った友紀美は、姉の亜沙美に泣きながら打ち明けた。
姉の真木亜沙美は友紀美とは七つ違い。母親が違う姉であり、どちらかというと
冷たく受け取られるタイプの美人。妹の友紀美にはなかったが姉の亜沙美は母
親の影響からか子供の頃から霊感が強く、大学を卒業して一度は大手出版社
で女性誌の記者を担当。最初のうちは芸能界のゴシップを追っていたのだが女
性誌には心霊特集がつきものということで亜沙美が担当させられる。
 二年勤めた会社を辞めてフリーへ転身。心霊記事が専門で、妹が陵辱される
ずっと以前からアミラの呪いを追いかけていたし、心霊ライターという職業柄から
も不可思議な力を持つ霊能者から、かなり怪しい者たちまでを幅広く知っていた。

 そして怪死事件へとつながっていく。一緒にスキーに出た男三人、そして女Aが
ほぼ同時刻に怪死した。男の一人は平沼同様に夜の駅でホームから突き落とさ
れて即死。また一人は賃貸マンションの五階から転落死。さらに一人はラブホテ
ルで突如として奇声を発して走り回り、非常階段から転落死。このとき一緒だった
女は無関係ということで被害はなかった。
 さらに、もっとも凄惨だったのは女Aの死の状況。交通量の多い夜の幹線道路
の横断歩道で信号待ちをしているとき、走ってくる大型トラックに向かって背中を
圧され、飛び込んだ。人の原型を留めない、肉体が破壊されての即死であった。
 そのすべての怪死の現場でことごとく赤い服の女の霊が目撃されていたのであ
る。このとき男Aは乱暴には無関係ということで見逃されている。

 友紀美と亜沙美の姉妹は仲がいい。妹への陵辱行為に怒った姉が仕組んだも
のと考えるのが自然なのだが、犯行時刻そのときの姉妹には確かなアリバイも
あり、呪詛による殺しといった立証できない不可能殺人に人員を割く余裕もなか
った。当時の宗像は警部補から警部へと昇進する途上にあり捜査現場を指揮す
る立場。一家三人強盗殺人そのほか凶悪な事件を抱えていたからだ。
 真木亜沙美は、少なくとも白ではない。そう確信を持ちつつも捜査は中止。殺
された四人それぞれが事故死とされて決着している。

 で、その事件を発端に、都市伝説の定番のように語られていた『赤い服の女』
の恐怖がSNSなどで拡散していくことになるのだったが、このときまでは『アミラ
の呪い』というキーワードは出てきていない。
 最初の怪死事件はそこでとまった。それがあって以降『赤い服の女』が目撃さ
れる事件は起きていない。宗像は警部に昇進。そして一年ほどが過ぎた頃、職
を辞し、調布にある純喫茶ブルーリバーを引き継いだということだ。
 真木友紀美との再会は偶然にもほどがある。事件当時、三鷹のアパートに単
身暮らした友紀美が調布に引っ越し、あるときブルーリバーを覗いたのがきっか
けだった。ブルーリバーは表通りから路地へと踏み込んだ場所にあったが、そ
の表通りには大きなスーパーマーケットがある。気分をリセットしようと新しい街
に引っ越して駅前を探索するうちブルーリバーにぶつかった。
 それがいまから十か月ほど前のこと。友紀美は常連客となり、妹から聞かさ
れて姉の亜沙美が覗くようになっていた。『アミラの呪い』を、あの事件以前から
追いかけていると知ったのはそのときだったし、『アミラの呪い』というキーワード
を知ったのもそのときだった。

 このとき姉の亜沙美は結婚していて荻窪の分譲マンションに住んでいた。性
格的にオープンで発展家。悪く言えばハネっかえりの小娘がそのまま美女に育
った感じ。妹の友紀美はおとなしく、母親が違うとこうも違うものなのかと可笑し
くなるほど。妹の仲立ちで姉と再会したとき宗像は刑事ではなくなって、いまさら
それを掘り返すつもりもなかった。女は怖い。それだけの感情しか持たなかった
し、自分のことに置き換えて、妻子を捨てた俺にとやかく言う資格はないとも考
えた。亜沙美は決して悪女ではない。あの事件がらみで釈然としなかったものも
警察を辞めた時点で消えていた。いまとなってはアミラの呪いに通じる唯一の足
がかり。人の感情など状況でどうにでもなるものだと、いまさらながら思い知る
宗像だった。

 そして、赤い服の女の事件が過去のものになろうとした、いまから半年ほど前
のこと。それとそっくり類似した怪死事件が起きたのだった。警察を辞めてブル
ーリバーのオーナーにも慣れていた頃、かつての部下の平沼が憔悴しきった面
色で訪ねて来た。平沼には妻子がいて八王子に新築分譲の戸建て住宅を買っ
て住んでいた。調布を通る京王線で通っていて、ここブルーリバーが気にはなっ
ていたと言うのだが、そこは気を使って覗かずにいたようだ。宗像は刑事に疲れ
果てて辞めている。
 平沼は、またしても起きた不可思議な事件を担当していて、あの頃の先輩の
気持ちがわかると言って愚痴を言う。

<事件2>
 いまから半年ほど前のこと。この冬は暖冬だった。三月初旬で春の気候。悶々
と冬をやり過ごすキャンパーたちの動き出しは早かった。
 三月の末。こちらの件では同じ会社の同僚同士であったのだが、友紀美の事
件と同じように男三人女二人の若者のグループで丹沢にキャンプに出かけ、戻
って十日ほどして凄惨な事件が起きたのだった。
 五人のうちの男二人が突如として狂ったように奇声を発し、まるで無関係な人
々を駅のホームから次々に突き落として殺してしまう。被害者の中には妊娠五
か月だった若い母親も含まれていた。憎むべき無差別殺人である。
 二人参加した女のうちの一人は、都内の幹線道路の歩道橋の真ん中で思い
詰めた面色で真下の路面を見ていた。交通量が多く、それでいて渋滞するほど
でもなかったため、クルマはかなりな速度で走っている。
 そのときたまたま付近の交差点で交差点監視をしていた警察官が女を見つけ、
これは自殺だと直感して駆け寄って声をかけたのだが、そのとき女は突然わめ
きだして暴れ、若い警察官を地獄へ引きずり込むように道連れにして飛び降り
自殺。転落してクルマに轢かれ警察官もろとも即死であった。
 丹沢でのキャンプに同行した五人のうち無傷で残ったのは男一人、女一人。
犯行におよんだ三人はいずれも善良な者ばかりで薬や酒に溺れる連中ではな
かったそうだ。

 しかし友紀美の一件と決定的に違うのは、そのそれぞれで赤い服の女が目
撃されていないということ。目撃者の証言によれば、ホームで人々を突き落とし
た男たちは、暗い顔でふらふら歩いていて突如として叫び散らし、そのときホー
ムにいた何人もが『アミラの呪いを知れ』とわめく声を聞いている。
 歩道橋から転落死した女のほうは、歩道橋の上で制服警官と揉み合ってい
る姿を二人の人間が目撃していて、やはり『アミラの呪いを思い知れ』と女が叫
んだようだと証言している。
 そしてこの事件をきっかけに『アミラの呪い』というキーワードがネット上で拡
散していったのだった。

 何事もなく残った男女二人の同僚が口を揃えて証言したのは、丹沢でのキャ
ンプで三人が山ビルに吸血されていたことだった。そう言えば・・あえて言うなら
というレベルで、どう考えてもそれ以外に思い当たることはないと言う。戻ってか
らの十日間にも異変はなかったと証言したのである。
 ホームで凶行におよんだ男たちは、精神鑑定と、証言に基づく肉体検査のた
めに病院に送られて、いま精神病棟の個室で夢遊病者のようになっていると聞
かされた。
 久びさに貌を見た平沼は憔悴していた。今度は『山ビル』がキーワード。しかし
血液そのほか精密検査の結果にも異状はなく、意味がわからず捜査にならない。
それで藁をもつかむ思い。三年前の事件の記憶をたどって先輩の店に顔を出し
たということだ。真木亜沙美がアミラの呪いを追っていることを知っていたからだ
が、その亜沙美も山ビルとの関係に首を傾げるだけだった。
 アミラの呪いは霊的な現象であり、よもや山にいるヒルに悪しきものが乗り移
るとも思えない。
 山ビルは生息域をひろげていた。もともと天敵となる生物が見当たらず繁殖を
とめられない。
 しかし日本にいる山ビルは感染症などを媒介する病原菌やウイルスなどはも
っていないとされていて、事実そのときの検査でも何ひとつ発見されてはいない
のだった。

 半年前に起きた二度目の不可解からこちら、言われてみれば妙な事件が増え
ている。無差別殺人。繁華街で刃物を振り回してみたり、クルマで人混みに突っ
込んでみたり・・ホームや交差点で無関係な者を突き飛ばして殺してみたり。
 警察を辞した宗像にとって、それらの事件は報道で知るだけの現象にすぎな
かった。平沼はあれ以来ちょくちょく顔を出していたが、警察官には守秘義務が
あり、民間人となった先輩に言えないこともあっただろうと推測する。宗像として
も必要以上のことを聞き出そうとは思わなかった。
 けれども、こうなったからには話が違う。赤い服の女に平沼が襲われた。山ビ
ルのほうはともかくも、赤い服の女・・アミラの呪いについてだけは放っておけな
い。
 店の片付けを終えようとする頃、真木友紀美がふたたび戻り、アルバイトの相
馬篤子を帰そうとしたとき、半分開けたシャッターの向こうに人影が揺れて、平沼
と、もう一人、はじめて会う女性が現れた。
 バイトの篤子がマスターに言った。
「私、いちゃダメ? だって私は・・」
 写真学校に通う学生だったが篤子は心霊写真に興味があって、好奇心も人一
倍。霊感がないのが口惜しいと嘆くタイプ。この店に来て亜沙美や友紀美に会え
たことも引き金になっていた。
 宗像は浅いため息。
「ダメじゃないが・・わかったわかった、じゃあ人数分の珈琲頼むよ」
「はいっ」
 眸を輝かせて笑う篤子。篤子は友紀美とも仲がよく、顔を見合わせて笑い合う。

 半分開けたシャッターをくぐって平沼はまず言った。
「遅くなりました、ここへの途中で彼女から電話がありまして調布駅で待ち合わ
せて来たもので。電車の方向が違いますから」
 そして平沼は横目に同伴した女性を見た。
 いまどきめずらしい染めない黒髪、ショートヘヤー。中肉よりはややスリム、中
背、色白で、ナチュラルカラーのパンツスーツ。手にはアルミでできたアタッシュ
ケースを提げていた。パソコンが一緒に入るものだと想像した宗像だった。
 宗像は仕事のスタイル。黒のスラックスにグレーのポロシャツ。百七十八セン
チ。黒髪のショートヘアーは刑事の頃から変わっていない。仕事では腰にエプ
ロンをつけるのだったが、このときは脱いでいた。
 平沼は百八十三センチの武道家体型。頭は角刈り。エラの張ったゴツイ風貌
が特徴的で仲間内でも怖がられる部類であった。くたびれた夏の背広が激務を
物語る。
 マスターは通路を挟むふたつのテーブル席を皆にすすめた。宗像の座る側に
平沼とその女性、反対側に友紀美と、そして篤子はカウンターにいて人数分の
飲み物を用意している。

 座るなり平沼は同伴した女性を紹介した。
「こちらは八王子にある東京愛林大学で生命科学を研究されている主任研究
員の三森先生です」
 三森はちょっと苦笑して言った。
「先生なんてよしてください。三森怜香(みもり・れいか)と申します。宗像さんの
ことは平沼さんからちょっと」
 宗像が眉を上げて会釈を返し、平沼が言った。
「じつはですね、これは立場上ちょっと言えないことだったわけですが、半年前
の事件があってホシの精神鑑定を行った医師からのご紹介なんですね。先生
は細菌から新生物まで幅広くご研究なさっていて、単なる医者の我々では手に
負えないからということで。山ビルですよ例の」
 そのとき篤子がテーブルに珈琲を配って友紀美の向かい側の席に座った。
 皆が席に落ち着いて、それから三森は言うのだった。
「突如として人を狂わせるものは、まず間違いなく山ビルに吸血されたことによ
ります。ですけどいまのところ原因が見つけられない。細菌やウイルスの仕業
ではないようなんですが、じゃあ何って言われると答えの出せない状況なんで
すね」

「それでもヒルが原因と断定できると?」
 宗像の問いに三森はきっぱりうなずいた。大学の研究者らしい理知的な態度
だと皆は感じた。三森は言う。
「それについては実験の結果をお持ちしてますから後ほどなんですが、今日急
いで平沼さんにご連絡を差し上げたのはそういうことではないんです。半年前に
このお話をいただいたときには時間をかけてと思ってましたが、いま、そんな悠
長なことは言ってられなくなったんです」
 宗像が平沼を横目にすると、平沼はちょっとうなずくそぶり。三森は続けた。
「ご存じかどうかはアレですが、私の友人に元テニス選手の中條翔子さんがい
るんですが」
 宗像はうなずいた。
「もちろん知ってますよ」
 三森はうなずいてちょっと笑う。
「ご結婚されて、いまは立花さんなんですけどね。で、今日の午前中のことなん
ですが、その彼女が坊やを連れて近くの公園でテニスで遊んでいましてね。そ
のとき坊やが問題となっている山ビルと同種のヒルに張り付かれて、その後町
医者へ駆け込んだそうなんですよ。それでその公園というのが砧公園なんです
ね。この意味わかります?」
 平沼が言った。
「そこにいるはずのないものなんです」
 三森はうなずいて宗像に言った。
「丹沢ならわかりますし高尾山でも納得できます。でも、ほとんど都心と言える
公園にいるはずがないんです。常識的にあり得ませんもの」
 宗像は唇を一文字に結んで言った。

「とすると・・何者が持ち込んだものだとおっしゃるんですね?」
 三森が言った。
「ですから警察に通報したということです。あの一件が山ビルの仕業だとするな
ら・・ほぼ間違いないでしょうけど、危険生物をバラまかれたということになって
しまう。私たちとしても必死に研究してますが原因がつかめない。じつは半年前
にこのお話をいただいて、私たちはすでに各地の大学に協力を要請しており、
結果が集まりだしているんです。体表に赤い縦筋のある山ビルは、山ビル全体
のうち、いまはまだそう数は多くない。しかし分布が問題なんです。丹沢、奥多
摩から秩父にかけて、あるいは富士山周辺、箱根から伊豆と東京を取り巻くよ
うに繁殖している」
 宗像は言った。
「駆除するしかないでしょうね」
 三森はうなずいた。
「無害な山ビルと区別するため、あえて毒ビルと言いますが、毒ビルそのものは
脆弱な生き物なんですね。その点では山ビルと一緒です。殺す方法はいくらで
もありますし塩をかけるだけでも死んでしまう。とにかくまず拡散状況を把握して、
人々にも注意を喚起しないとなりません。だけどそれにしたって許せないのは、
それを東京にバラまいた人たちなんです。明らかに持ち込まれたもの。そうとし
か言えませんから」

 まさかそうした話になろうとは思っていない。皆が呆然として沈黙した。

あばよ阪神



矢野は同じ負け方でプロとして恥ずかしいと語ったようだが、同じパターンで
凡退を続けるコイツを4番で使い続けたのは監督として恥ずかしい行為では
ないのか。采配も温情主義で甘い甘い。その上情緒的過ぎて矢野ガッツで
どうにかなると思っている。

大山は内外角ともに打てない。内で起こされ外角低めに逃げる球をものの
見事に空振りする。頭が悪いからいつまでたっても学習できない。
さらにチームメイトは口惜しがらない大山に文句があるようだ。口惜しがらな
いという点では輝かしい大先輩がいるではないか。鳥谷だ。チャンスであろ
うが四球を選ぶことしか能がなく、凡退したって平然としてギャラだけをかす
め取る。こういうクズを一掃しないと、そりゃぁ若手は育ちませんて。
福留も期限切れだし糸井も不要。

原監督はゲレーロにバントさせる。勝ちに対する執念が違うんだよ。それを
植え付けようと金本監督にしたはずなんだが、情けないいまどきの子たちを
守るためか突然クビにしてしまう。無難に仲良く? プロ球団の姿じゃないよ。
補強も遅い。あれだけ頭の動くマルテなんて打てるわけがないんだし、ソラ
ーテには日本に慣れる時間がいる。長距離砲の候補が大山崩れしかいない
ことが最大の問題で、ドラフト戦略も話にならない。
若手を育てられないから中谷もダメ、高山もイマイチ、それでも藤浪に期待
する~などなど、阪神なんてもういいよ、さようなら。

ヤクルトでは主力のほかに、村上、中山、廣岡~と若手が確実に育ってきて
いる。DeNAでもそれは同じで、佐野、細川、伊藤ユキヤ~と、これもまた次
々に有望株がのびてきている。どちらも明日の明るいチーム。
これは首脳陣の無能さかげんだと思うんだね。阪神には近本以外に期待で
きる若手がいない。この差は何だとあきれてしまうよ。

これだけひどい大山を二軍に落とせないようでは監督としての資質を疑う。

生と死のレゾナンス 一話

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一話 序章~呪いの使者


 東京、世田谷。九月のなかば。
 このとき時刻は午前十時を過ぎたところ。
 三連休の初日となるその土曜日は、一昨日からの雨もあがり、夏の後ろ姿を
見送るような晴天に恵まれた。陽射しはまばゆく、それでいて風は涼しく秋の気
配。ここは環八と東名高速用賀インターに接する都内有数の緑地公園。周囲を
ぐるりと森と見まがう木立に囲まれた土の広場には、小さな子供たちを遊ばせる
若いママが多くいて、親と子の明るい声が豊かな緑の狭間に漂うように流れて
いた。

 そんな中に、四歳となったばかりの息子とソフトテニスのボールで遊ぶ一人の
母親がいた。男の子は半ズボン、ママはジーンズにスニーカー。亜麻色のロング
ヘアーをポニーテールにまとめている。
 住まいが近くて空いた時間にちょっと出たもの。ほんとなら硬式テニスといきた
いところなのだが、公園で固いボールは危なく、子供もまだ小さいことから、コー
トの外では軟式のボールで遊ばせるようにしていた。遊ばせながらもラケットの
扱いに慣れさせる。母は硬式ラケットを持ち、子供にはジュニアサイズの硬式ラ
ケット。英才教育というわけでもないのだが、軟式のボールだからといって軟式
のラケットでは硬式テニスの練習にはならないものだ。
 ボレーボレー。方向の定まらない息子の打球を母は意のままに子供のフォア
ハンド側へと返球していく。

 母は、旧姓を中條翔子(ちゅうじょう・しょうこ)と言い、元はプロテニスプレーヤ
ー。二十四歳で世界ランカーとなったものの二十八歳のときに膝十字靱帯を断
裂。それで一度、ツアープロからは距離をおいて再起を図ったのだが、およそ二
年のブランクはたやすく克服できるものではなかった。若手の台頭に圧されてし
まうこともある。競技を去り、テニススクールのレッスンプロを経て三十五歳で結
婚、立花姓となった。息子の亮(りょう)は四歳になったばかりだが、翔子はじき
に四十歳。
 唯一無二の我が子だと思っていた。子供は可愛い。結婚がもう少し早ければ
とは考えてもテニスへの夢は捨てきれなかった。楽しそうにボールを追う我が子
を見ていて弟か妹をと考えないでもなかったが、若い頃から子宮内膜症の兆候
があって高齢での妊娠は厳しいだろうと宣告されていたし、私はもう若くないと
思ってしまう。
 息子を健康な子に育てたい。テニスを教え込むつもりもなかったのだが、こうし
て外で遊ばせるとなると、どうしてもラケットを持たせてしまう。忘れきれないテニ
スへの思いを胸に秘め、楽しそうにボールを追う我が子に眸を細める母親だっ
た。

「亮ちゃん、バックいってみよっか」
「うんっ!」
「振り回しちゃダメよ、ラケットで受ける感じでね」
「うんっ、わかったぁ!」
 ラケットに載せて送るように子供のバックハンド側へやさしいボールを打って
やるも子供は空振り。バックハンドは両手になるから、いまのところは苦手のよ
うだ。
 子供の立ち位置をすり抜けたボールが薄い草に覆われた土に跳ねて背後の
草むらへと転がった。子供はちょっと拗ねたように口をひん曲げ、走って取りに
行く。土の広場の周囲は木々の下。落ち葉が重なる林床になっていて子供の膝
ほどまでの下草が生えていた。都が管理する公園は春先から何度か草刈りの
手が入るのだったが、いまは夏でのびた草むらのまま。軟式テニスのボールは
軽く、草に浮くように載っている。探すまでもなくボールは見つかり、木々の下の
草むらから子供は飛び出し、すぐにボールを打ち返す。
 そうやって何度かラリーの続くうち、母親は息子の右のふくらはぎに何か赤黒
いものがついていることに気がついた。

「亮ちゃんストップ、脚に何かついてるよ」
 歩み寄ってしゃがんで見てやると、何やら太く短いミミズのような不気味な生き
物が張り付いていたのだった。
「何よコレ・・亮ちゃんちょっと動かないで」
 指先でつまんで皮膚から剥がそうとするのだが、頭と尻の両方で肌に吸い付
きゴムのようにのびてしまう。長さは四センチほど、体表に縦に赤いスジの入っ
たミミズのようなもの。
「これヒルだわ、きっとそうよ、どうしよう取れない」
 小さな子供は、不安そうな母の姿とふくらはぎに張り付く不気味なものを怖が
って泣いてしまう。
 その声を、たまたま通りすがった学生っぽい二人の男が聞きつけて歩み寄っ
た。二人ともジーパン姿でタウンサイズのナップサックを背負っている。
「どうしました?」
「草むらに入った子供が脚にヘンなものをつけちゃって」
 若者の一人がしゃがんで見つめ、即座に言った。
「ああ、これ山ビルすっね。血を吸うヒルっす」
 母は問うた。
「山ビルって言うの?」
「そうっす、山にいるヒルなんすよ。いま取ってあげますから」
 若者はタバコに火をつけて張り付くヒルを焼くように火種を押しつけてやると、
不気味な生物はもがくように蠢いて、吸い付いた口を離してぽろりと取れた。
「ほら取れた、もう大丈夫だよ、痛くないだろ坊や?」

 子供は安心してちょっと笑う。母はほっとしてため息。
「ありがとう、助かったわ。タバコで取ればいいのね?」
「そうっす、つまんで剥がそうとしても傷口をひろげるだけでかえってマズい。
タバコの火と塩とか」
「塩? お塩でもいいの?」
「イチコロっすよ。ナメクジ状態で死んでしまう。あとはアルコールとかでもいいで
すし」
 母はうなずいた。子供らしい細いふくらはぎの丸い傷から血が流れて白いソッ
クスを痛々しく赤くする。
 それを見ていたもう一人の若者が言った。
「僕ら山でキャンプしますから、こういうことはしょっちゅうなんです。山ビルは気
色悪い生き物だけどヘンな菌とか持ってないから消毒しとけば治りますよ。しば
らく出血すると思いますから傷バンとか張っておけばいいでしょう。どうしても気
になるようならお医者とか行かれてもいいですし」
 タバコに焼かれて落ちたヒルは丸まって、じっとして動かない。しゃがんだ若者
がヒルを凝視して、友だちに向かってぼそりと言った。
「だけどウソだろ、都会のど真ん中なんだぜ、こんなところにいるもんか?」
 もう一人もうなずいて丸まったヒルを覗き込む。
「赤いスジのあるヒルねぇ・・ううむ、確かに言える、なんでこんなところにいるの
か・・」
 丸まって動かないヒルを踏みつぶし、若者は母親の顔を見つめて遠慮がちに
言うのだった。
「あれ・・もしかしてテニスの中條さんですよね?」
 翔子はちょっとうなずいて微笑んだ。現役だった頃、この二人はまだ子供だっ
たはず。そう思うと、あらためて時の流れを感じてしまう。
「知ってるんだね私のこと?」
「もちろん知ってますよ。僕ら高校からテニス部でしたし子供の頃から見てました
もん」
 親切な若者たちとちょっと話し、翔子は亮を連れてその場を離れた。家に戻っ
て手当てをしたい。

 山ビルは、その名のとおり山にはびこる陸生のヒルで、落ち葉の下など湿気の
あるところを好むのだが、山では草陰に潜んでいたり、樹木の枝に這い上がって
いたりして、下を通る動物を狙って木の上から降ってきたりもする。
 細かい牙の並ぶ丸い口で噛みついて皮膚を破り吸血する。しかしそのとき蚊と
同様に麻酔の成分と血を凝固させない成分を併せ持つ体液を出すから痛みもな
く吸血されても気づかないことが多いもの。山を歩いていて、あるとき下着の中に
吸い付くヒルを見つけたりもする。グロテスクで悪魔的なバンパイヤなのだが、い
まのところ感染症の原因となるような菌やウイルスは持っていないとされていた。
 心配することはないと若者たちにも言われていたが、母は念のためにかかりつ
けの町医者のもとへと連れて行く。

 その同じ日の午後三時過ぎ。JR高円寺駅。
 警視庁捜査一課、警部補の平沼剛(ひらぬま・つよし)は、すっきり晴れた空を
見渡しながらも言いようのない思いを隠して駅のホームに立っていた。土曜の今
日は本来非番なのだが、ひと月ほど前に高円寺であった強盗殺人の犯人逮捕
のために昨夜からの勤務。現場処理を終えて八王子の自宅に戻ろうとしていた
ところ。
 都会の週末、平日のような極端なラッシュこそなかったものの駅は慢性的に混
んでいて、平沼がホームに立ったのは前の電車が出たところ。そのとき一瞬人
影がなくなっても次の電車までの五分ほどの間にホームにはふたたび人があふ
れてくる。
 平沼は心が疲れ切っていた。遊ぶ金欲しさに押し入って、たやすく人を殺してし
まう。凶悪犯罪が増えている。駅のホームから無関係な相手を突き落としてみた
り、繁華街で突如として刃物を振り回し多数を死傷させてみたりと、人間の何か
が狂ってきている。犯人逮捕にこぎつけても気分が晴れることはない。正義の番
人でいたいという気持ちはあっても、もういい、逃げたいと思うことが多くなった。
家に戻れば妻と幼い娘がいる。ほっとできる空間はそこにしかないと思えてしま
う。

 先輩刑事だった宗像のことをふと考えた。ここしばらくはとりわけそうで、同じよ
うに気を病んで妻子とも別れ、刑事を辞した男のことを弱いとは思えなくなって
いる。
 俺だって辞めたい。もういい疲れた。普段なら八王子から京王線で通っていた
が、今日は昨夜が泊まり、現場からの直帰だからブルーリバーも覗けない。たま
らない焦燥感に苛まれていた平沼だった。
 前の電車が出たところ。しかるに、ホームへの階段から次々にそれぞれの人
生を背負った人々が上がってくる。明日は休み。月曜日も代休を入れてあるか
ら続けて休み。ひさびさ家族でどこかへ行きたいものだと考えていたのだった。
 と、背後に怪しい気配を感じた。背筋が冷える嫌な感覚が確かにあった。

『・・ふふふ・・ふふふ・・』

 洞穴に響くような、か細い女の笑い声を確かに聞いて、振り向こうとした次の
瞬間、ひらひらした赤い服の一端が視野の端に飛び込んで、ものすごい力で背
を圧されて体が傾き、線路まで泳ぐように落ちていた。突風に突き飛ばされた感
じがする。
 ホームに居合わせた女性たちから悲鳴が上がった。誰もが一斉に注視する中、
転落した平沼はとっさに起き上がって迫り来る電車を視野に入れ、ホームに手
をつき、飛び上がり、ホームのコンクリートに転がった。平沼は剣道三段。その
反射神経がなければはねられていたかも知れない。
 いいや違う。タイミングが違うととっさに思う。殺す気なら電車が近づいてから
圧されるはず。恐怖に背筋が冷えてくる。これは警告だと感じていた。
 そのとき居合わせた人々から安堵の声が上がった。駅員が二人駆け寄って、
事情を話すと警察を呼ぶと言う。平沼自身が刑事だとわかると、そばにいた若
い女性が証言した。赤い服の女を見た。この人を突き落として煙のように消えて
いったと・・。
 赤い服の女は、都市伝説でも語られる女霊の姿なのだが、ここしばらく『アミラ
の呪いを知れ』などと意味不明な言葉を叫んで無関係な人を殺す無差別殺人
が多発していて、赤い服の女すなわち『アミラの呪い』としてネットで急速にひろ
がっていたのだった。
 平沼は駅事務所へ呼ばれて事情を話し、それから携帯電話を手に取った。

 東京、調布。純喫茶ブルーリバー。
 このとき時刻は午後四時だった。
 ブルーリバーは、いまからちょうど一年前に、以前のオーナーから譲り受ける
カタチで宗像拳士(むなかた・けんじ)がはじめた店だった。
 宗像はいま四十一歳。一年前まで警視庁捜査一課で警部を務めた男。調布
は若いときから妻子と暮らした街で、刑事だった頃から仕事帰りに顔を出して
は以前のオーナーと付き合っていたものだ。
 人間の裏を見る職業に疲れ果てた。凄惨な人の死を見たくもない。
 病んだ心のままでは妻子を幸せにできないと思い、三年前に離婚。それでも
刑事を続けていたのだったが、この店の前オーナーが老齢で辞めると言う。そ
れならということで警察を辞して引き継いだということで。
 ブルーリバーは京王線の調布駅から南へ、多摩川へ向けて十分ほど歩いた
裏通りに古くからあるちっぽけな喫茶店。カフェほど洗練されてなく、店の入り
口も手動のドアで、開けるとドアベルがチリンと鳴った。カウンター五席に四人
掛けのテーブル席が四つという小さな店で造りも古く、しかしだから気に入って
通っていた。オーナーは気の好い老爺で、ここへ来ると現代から逃避できる気
分になれた。
 住宅街のはずれというのか、周囲にいくつか会社があって平日にはそれなり
に混んでいても週末の土日となると、どうかすると客足ゼロの時間帯ができて
しまう。この日もそうだ。三時過ぎに一組の客が出たきり、常連の女性客がカウ
ンターに一人残っただけでそのほか空席。バイトのウエイトレスと店主がいて
客がいないこともめずらしくはないのである。

 カウンターの裏に置いた携帯電話がバイブしたのはそんなとき。常連客を交
えてまったりした時間をやりすごしていたのだったが、マスターが携帯電話を
手にしたことで会話が途絶えた。元刑事のマスターの携帯にロクな話が舞い
込んだためしがなかったからだ。
「おぅ平沼か、どした?」
『どしたもこしたもありませんわ、出ましたよ、赤い服の亡霊が』
 電話の声が携帯から漏れていて、客とウエイトレスが眸を合わせて眉を上げ
合う。
「何ぃ、突き落とされた・・おまえがか?」
『たったいま高円寺駅で。今日は別件の犯人確保で出だったんです。現場から
の直帰ですよ。ゾッとする嫌な気配がして振り向いたとたん、後ろからドンです
わ。しかしおかしい』
「おかしいとは?」
『電車はまだ向こうにいてタイミングが違うんです。飛び起きてホームによじ登っ
て助かりました』
「なるほど、警告ってことか?」
『おそらくは。で、宗像さん、真木亜沙美に会えないかと思ったもので。実際見
てしまうと、まさかではすまされなくなってきた』
 宗像はカウンターに座る女性客へと視線を流しつつ言った。
「いや、いまもそれを話してたところでね、友紀さんが来てるんだ。姉さんの方は
相変わらずで戻って来てない」
『奥多摩でしたっけ?』
「そういうことだ。どうかすると電話は通じるから失踪ではないようだが・・ちょっ
と待て」

 マスターは携帯電話に手をかぶせてカウンターの客に言った。
「聞こえたとおりで平沼の奴が襲われた。赤い服の女を奴自身が見たと言って
る。姉さんに会いたいそうだが連絡してみてくれないか」
「それはいいけど平沼さんにお怪我は?」
「ホームからの転落なら生きてりゃ無傷ってところだろ。警告だよこれは」
「わかりました、電話してみます」
 カウンターの女性客は、真木友紀美(まき・ゆきみ)、二十五歳。親しくなって
からは友紀と呼んでいた。
 二年前にあった友紀美を取り巻く不可思議な怪死事件で出会った女性だった
のだが、それを捜査したのが当時警部補だった宗像自身。
 そしてその腹違いの姉が、真木亜沙美(まき・あさみ)と言って三十二歳。二年
前の友紀美がかかわる事件が起きるずっと前から、都市伝説ともなっている赤
い服の女を追いかけていた、いわば心霊ライター。雑誌の記事や著書で、いま
では名を知られる女性であった。

 それはともかく、友紀美のコールに応答はなかった。留守電に切り替わる。姉
への伝言を録音して電話を切った。
 そしてそうやって友紀美が伝言を残す間、宗像はカウンターに背を向けて友紀
美からは距離をとり、返事を待つ平沼に言った。
「いかんな、つながらん。留守電に入れてるから追って連絡があるだろう」
『ですか、わかりました。で、これからいいすか? まだ高円寺ですから、ちょい時
間かかりますけど?』
「もちろんかまわん、無事で何より。深追いするな、マジでヤバイぞ」
 電話を切って、それからしばらく、三人で沈黙し合って声もなかった。