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続・流れ才蔵(三話)

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三話 思案の夜

 小窓を開け放った明るい夕餉。冬のいまは海からの吹き上げ風も
あるはずなのに、背後に切り立つ崖と風を散らす松林のせいなのか、
思うよりも風が入らず、大きな火鉢の炭火の熱がほどよくこもって
暖かい。
 想い人との差し向かい。才蔵はあぐら、お泉は正座。それは寺で
の夕餉でも同じことであったのだが、あのときは童がふたり、仁吉
やお香もいてむしろ気が楽だった。こうして差し向かいに膳に向か
うと着物のちょっとした乱れも気になってしかたがない。

 お泉は、それまで自分でも気づかなかった自分の中の女性(にょ
しょう)の心に、ちょっと信じられない思いがした。男が嫌い。侍
など反吐が出る。そう思って生きてきたあたしは何だったのか。嬉
しくもある驚きだった。
 磯の香りに満ちた夕餉を終えて、才蔵はふと物思うような面色と
なって言う。
「さて、お邦はどうするか」
「どうだろうね、邪魔だと思ってるだろうしさ」
「来るさ。己の気持ちにかかわらず行けと言われて来るだろう」
「千代という長に言われて?」
「来いと言われてるなら行け、それが長の言うべきことだ。探りと
いうより様子をうかがう。そしてお邦は長に告げる。ここがちょい
と難儀だな。訊きすぎても訊かなすぎても疑うだろう。我らとして
も見極めなければならぬのでな。善と悪があるのなら、それもまた
しかり。されどそのことと若い娘をいたぶるってことは話が違う。
四人殺られたそうだが、それほどまでしてなぜこんなちっぽけな部
落を狙うのか」
「密書がどうしたなんて、またぞろ大げさな話になるのかってこと
だよね、あの寺みたいに」
「いや、おそらく違うな。密書どうこうはつくり話よ。ここ常陸は
御三家水戸藩の領地であり、しかも附家老(つけがろう)のからむ
土地。そうした中でこんな女ばかりの部落に何が隠されていたとし
ても、いかに配下の下っ端が命じたとは言え殺し屋なんぞは送るま
い。やり方はいくらでもある。娘を毒刃でいたぶるなど下衆(げす)
の所業よ。みっともなくて話にならん」

 附家老とは、将軍自らが任じて送り込む家老のこと。江戸の意に
沿うよう藩主を導く役目も負い、家臣というより将軍から使わされ
た目付役といったところだろう。したがってよからぬ騒動は江戸に
伝わるということだ。

 と、そう小声で話していると粗末な板戸が遠慮がちに叩かれた。
 お邦。夕餉の膳を下げるついでに上がり込む。ごく自然な流れだ
った。お邦は着物を着替えていて、むしろくだけた寝間着に綿入れ
を羽織った姿。それで相手が気を許すと思っているのだろうか。
「お茶もらうよ」
「いちいち断るな、邪魔者は俺たちよ」
 そう聞いてお邦はちょっと笑い、湯飲みに茶を満たして部屋へと
上がった。そのときふたりは畳に座り、お邦は板の間に座ろうとす
る。才蔵が座をずらして畳を空けた。
「ありがと。やさしいんだね」
 お泉が言った。
「楓は苦しんでないかい?」
「ううん、よく寝てる。熱もだいぶ下がったし、寝息が静かになっ
たから。姉様たちが裸で抱いて熱を取った」
「そうかい、ならよかった。しばらくは起きちゃだめだよ」
「わかってる。姉様たちが診てるから大丈夫。ありがとね、お泉姉
さん」

 さっきまでの跳ねっ返りとは思えない穏やかな口調。お邦のほん
との姿だろうと才蔵は思う。
「ひとつ訊きてえ、村雨兄弟とやらの人相はわからねえんだな?」
「わからないし姿を見た者も少ないんだ。どっちも頭巾で顔が知れ
ない。誰かが何かの拍子にひとりになったときに襲われる。惨いや
り方も一緒。あたしらが見つけた時には虫の息、死んでいくのを見
てるしかなかったのさ」
 つまり敵は見張っているということだ。毒の刃で斬られたという
ことは、最前、浜を通りがかったそのときに斬られたと思われた。
「楓のことはどうして見つけられた? すぐに俺たちを囲んだが?」
「悲鳴が聞こえたのさ。風向きがよくて聞こえたんだろ」
「そうか。ま、こんな話はしまいにしようぜ。せっかく来たんだ、
海のことでも聞かせてくれや」
「うん。海の話ったって、そうないけどね。そこの海でも採れるけ
ど、浜を少し先まで行くと岩場に変わる。そこは深い。小さな船も
そのへんにつないであって、魚なら投網、貝なんかなら潜って採る
んだ」
「冬でもか?」
「何もわかっちゃいなんだね、冬は海の中のほうがぬるいもの。岩
場に焚き火を組んで暖まる。また潜る。だから冬場は喰う分だけを
採るんだよ。銭が要ることがあるとたくさん採って船を呼ぶ。さっ
きの崖に旗を立てて、そうすりゃ買い付けの船がやってくる」
「そうか。厳しいだろうがおおらかな暮らしだな」

 そのときお邦が、湯飲みを覗き込んで弱く笑った。
「あたしは売られた。この常陸の北の果ての貧しい農家だったんだ。
身売りだよ。そんときあたしは十三だった。救ってくれなきゃ、い
まごろ女中か女郎だったね」
 才蔵はわずかにうなずくと、すぐそばに足を崩して座るお邦の膝
に手を置いた。
「だからあたし、ここが好きさ。それぞれ何かを引きずって、それ
でも仲良く暮らしてる。あたしの一生なんてこんなもんだろうなっ
て思ってさ」
 そのとき、お泉が横から言った。
「はじめて人を斬ったのは小娘の頃だった」
 お邦が静かに視線を流した。
「ある武家の屋敷に忍んでね、逃げようとしたときに仲間が見つか
り斬り合いになったのさ。相手もくノ一。あたしらはふたりだった
が相手は四人。あたしはふたりを斬ったんだけど、そのうちのひと
りがあたしよりも小娘だった」
「ふーん、辛かったんだろうね?」
「震えたさ。毎夜毎夜夢に見て眠れない。そのうちあたしは女とな
って、これでもいろいろあったんだ」
 お邦はこくりとうなずいて、哀しげに微笑んだ。

 おまえはどうやってここへ来たと問いたい思いはあったのだが、
才蔵は訊かなかった。思い出させるのも可哀想。
 そして声が途絶えたときに、お泉が問うた。
「だけどあれだね、こう言っちゃなんだけど、こんなところに女ば
かりじゃ怖いだろ?」
 お邦は顔を上げてちょっと笑った。
「いまはもう大丈夫。ここらの海にはちょっと前まで海賊がいてね」
「ほう、海賊が?」
 その昔、若狭の海にもいたと才蔵は思う。食い詰めた浪人どもが
盗賊となり果てて海に出た。山なら山賊、陸なら盗賊。三代将軍家
光の世となって締め付けが厳しくなり格段に減っていた。まして常
陸は水戸藩。幕府の威信にかけて追い払ったことだろう。
 この部落の備えもそのときのためだったと思われる。
 お邦は言った。
「昔はひどかったらしいんだ。それもあり嵐で大勢死んだこともあ
りで隣の村は北へと移っていったそうだ」

 お邦が言った。
「ねえ、あたしから訊いていい?」
「かまわん、何だ?」
「江戸にいたってことだけど、そこで出会った?」
「お泉とか?」
「うん、訊きたい」
 ここにいては出会いがない。興味があってならないのだろう。お
邦の目が俄然きらきら輝いた。十五と言えば嫁に出てもおかしくな
い歳。
 そしてそのときお泉はちょっとうつむき、才蔵がどう言うか、ハ
ラハラして聞いていた。才蔵は言う。
「江戸のあるところにちっぽけな寺があってな」
「うん?」
「そこでは孤児を引き取って育てていた」
「孤児?」
「そうだ孤児だ。カゴに入れられて寺の門前に捨てられる乳飲み子
もいたんだぜ」
「・・ひどい話だね」
「そうだな、しかしそうしなきゃならねえ訳もある。それで、その
寺の和尚が死んで寺が悪い輩に狙われた。そんとき流れ者の俺がた
またま寺に厄介になっててな。銭もねえ俺に寺のみんなはよくして
くれた」
「うん」
「そしてまた、そんときちょうど急な病でこのお泉が転がり込んだ。
寺が襲われたのはそのしばらく後だった。俺とお泉で悪い輩を追っ
払った」
「ふーん、いい話だ・・それで?」
「俺もお泉も流れ者。どっか遠くの知らないところに行こうってこ
とになり、俺が一緒に来いってお泉に言った」

「ふーん、それでか・・」
 と言って、お邦はふたりを交互に見てくすっと笑う。
 才蔵が言う。
「それでかとはどういうこった?」
「寺ではふたりきりになれなかった。好き合っているのにさ。んふ
ふ」
「てめえ、そう言やぁ思い出したぜ、よくも覗きやがったな」
 頭をかるくはたいてやる。ちょっと舌を出すお邦の癖が愛らしい。

 お泉は頬がかーっと熱くなる。好き合っていた。思い返せばそう
だった。どうせ夢だと諦めていた。
 才蔵は言う。
「好き合っていたか・・うむ、そうかも知れんな」
 お泉は信じられないものを見るように才蔵の横顔を覗き込む。本
心からの言葉だろうか。
「ま、てえことだったんだがよ、江戸を出てたった三日でこのザマ
さ、参ったぜ」
「・・ほんとだよ、もう」
 お泉は小声で言うのだったが、何かを言わないと涙があふれてき
そうだった。
 お邦は立った。
「わかったよ、ありがとね。江戸なんて、きっと一生知らない町だ
し。あたし寝るから。朝も早いし」
「おぅ、よく寝て育て」
「ちぇっ、これだよ。あたしゃもう童じゃねえんだ。べぇーダ」
 笑ってあっかんべぇーをしながら、膳をふたつ持ってお邦は出て
行く。粗末な板戸でもつっかえ棒が置いてあり、外から開かないよ
うになっていた。

 畳二枚きりの上に間を空けられずに夜具をのべ、揃って寝間着に
着替えたものの、お泉は帯をせずに横たわり、才蔵の気配を察して
振り向いて、泣いてしまって抱かれていった。二十七年生きてきて、
いまこそ夢の中だと思うのだった。

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