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続・流れ才蔵(四話)

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四話 大海原

 翌朝のこと。江戸ではあたりまえの早朝に目覚めてみると部落の
女たちの半数がすでに出ていなかった。日々半数が海に出て半数は
体を休める。とりわけ冬は体が冷えてそうでなければ持たないから
だ。漁といってもその日を喰う分だけ。部落の背にそそり立つ崖を
回り込んで陸へと行くと百姓村がいくつもあって野菜などと交換す
る。そうやって女たちは生きていた。

 そのときお泉は楓の傷を診るために家にいて、才蔵ひとりが松林
を抜けて崖に出た。崖といっても背丈の倍ほどの低いものだが、そ
れでも見晴らしは素晴らしい。見渡す限りの大海原。今日もまた冬
晴れで風がなく、綿入れを着ていると暑いほどの陽気だった。腰に
差す青鞘の大小が綿入れの前の合わせを割りひろげ、風が入って心
地いい。

「お侍様はこういう眺めは?」
 静かな気配がすぐそばにやってきた。千代だった。
 才蔵は言う。
「その昔、似たような景色の中で育ったが、これほどの海じゃなか
ったね」
「どちらなので?」
「若狭だよ。向こうの冬は暗い。雪が積もり空よりむしろ明るいく
らいさ。千代さんにも言っておく。お侍様はやめてくれ」
「それはなぜ?」
「まっぴらだ。それが嫌で家をおん出た。千代さんと目の高さは一
緒だぜ。俺は才蔵。それだって実の名を捨てる名さ」
「じゃあ才蔵さん」
「うむ、気が楽だ」

 やはりそうか、若狭あたりの名家の出だと千代は思う。
 そして千代は、すぐ眼下の砂浜を指差して言う。
「北へ少し行くと岩の海。その手前を左に折れて陸へ向かえば表街
道につながって、だからここらは訳ありの者たちがときどき通る。
あたしもそうしてここへ来た。その頃は少し北に漁師の村があった
んだ。それでここを知ったのさ。ここは番小屋の集まり。湯があっ
て心地よく、いつの間にか棲み着いてしまったね。あたしも女。漁
師たちの世話もしたし、そうやって厄介になっていた。海女を技を
あたしが教わり、ここの皆に教えていった。ところがその漁師の村
がなくなって取り残されたというわけさ」

 才蔵は語らず聞いていた。千代は言う。
「お涼からも聞いたと思うけど、あたしも名もなきくノ一だった。
けど、お泉さんのように手練れじゃない。剣もダメ、走ったって速
くない。そうなると残るは女を武器にしなければならなくなる。死
にたいと思ったときに、どうせ死ぬなら人知れずって思ってさ。忍
びの村を飛び出して気がつけばここにいた」
「そうするうちに女どもが集まって来たと?」
「まあそういうことだけど、そんな中に侍がひとりいたんだよ。手
傷を追って逃げていて、この下で倒れていた。あたしらで救ってや
って、けど消えた」
「それで密書の話をつくったか?」
 千代は笑う。
「正直言うとそうなのさ、あれはでたらめ。その人はまだ若い侍で
家中のもめ事に巻き込まれたって言っていた。それがとっさに浮か
んでね、あんなことを言ってしまった。お涼からもお邦からも、信
じていいんじゃないかって言われたよ。たった一夜のことなのに、
才蔵さんは妙なお人さ。ゆうべもお邦と話したろ」
「うむ、いい娘だ」
「お邦が言うんだ、お泉さんが羨ましい、恋い焦がれているのがわ
かるって」
「俺にかい?」
「もちろんじゃないか」
 才蔵は横に立つ千代の横顔を盗み見た。静かでいてどこか哀しい
女の面色。千代もまた才蔵の姿に横目をなげた。

「どういういわれがあったのかは知らないけれど、人を信じず生き
てきたくノ一が本気で想える男なんて滅多にいない。あたしらだっ
てそうだったからわかるんだって、お涼が言う。楓を救ってくれた
ときだって、見ず知らずのあたしらに刀を委ね、楓をおぶって走っ
てくれた。こういうお人もいるんだって震えたって皆も言ってる」
 才蔵は小指の爪で耳の裏をちょっと掻く。
「それは違うねぇ、思い違いというものさ」
「違うとは?」
「女たちが洗ってくれた。お泉もそうだが、江戸のちっぽけな寺に
いたお香という娘。孤児として寺で育ち、和尚が死んで、それから
はまだ幼い弟や妹のために母のように生きている。そんなとき俺は、
竹カゴに寝かされて寺の門前に捨てられた乳飲み子をはじめて見た
のさ。なんということだ、それにくらべて俺はいったい何だったの
かと哀しくなった。ここへ来て、そなたらを見てもそうさ。女ばか
りで厳しい暮らしに耐えていながら逞しい。俺は弱い、脆い、そん
な自分を思い知り、そしてまた、そんなときに出会ったお泉に甘え
たくなってしまった。それだけのこと」
 すごい・・この男はすごいと千代は感じた。

 そしてそのとき、楓を診たお泉が歩み寄ってくる。
「すっかりいいよ。傷はしばらくかかるけどもう大丈夫」
 微笑んでうなずく才蔵との間合いというのか、このとき千代は、
つい昨日、会ったときのお泉とは何かが違うと感じていた。しなや
かな女の姿をしていると・・。
 千代は言った。
「秘密を見せるよ、お泉さんも一緒に」
 そう言って千代は背を向けて歩き出す。才蔵とお泉は顔を見合わ
せ、千代の後ろ姿を見つめながら後を追った。
 家々の背後にそそり立つ黒い岩盤の崖。その裂け目のすぐ奥に湯
が湧いていたのだが、さらにその奥、闇の中に人ひとりがすり抜け
られる裂け目があって、そこを抜けると奥にかなり広い空洞が拡が
っていたのである。
 千代の手にある蝋燭を岩盤に近づけていくと、黒い岩に銀色の筋
が幾筋も走り、タガネで削った痕跡がそこらじゅうにあるのだった。

「銀の鉱脈さ。いつだったかの地揺れで岩がくだけて割れ目が拡が
り、その奥であたしが見つけた。削って溶かしてやると、いい銀が
採れるんだ。それであたしは売られていく娘らを相場より高く買い
取った。そうなると次の娘を待ってる連中が困るだろ、女郎屋とか
さ」
「そして村雨兄弟か・・」
 才蔵は言いながら、お泉に向かって目でうなずく。
 千代は言った。
「買い取った娘らはさらに多くてね。ここに残るのは少しの数で娘
らはてんでに去って行くんだよ」
 才蔵は、千代の両肩にそっと手を置いて微笑んだ。
 千代は言う。
「それほどの大金がどうして続くのか、そういうこともあるのかも
知れないし」
「それもあるだろうね。その探りも兼ねてってことだよ」
 と、お泉が言って、なおも才蔵が問う。
「村雨兄弟だとなぜわかった? そう名乗ったからか?」
「矢文だった。はじめひとりが殺られたときに矢文が放たれ、『手
を退け 去れ さもなくば死あるのみ 村雨兄弟』・・と」

 それも怪しいものだと才蔵は思う。頭巾で顔を覆うなら敵はふた
りとは言い切れない。
 お泉が問うた。
「はじめのひとりも毒刃でかい?」
「いえ、はじめはバッサリ。そのとき松林を逃げ去れるふたりの姿
を女たちが見ていてね。ひとりは男ひとりは女。毒刃に変わったの
は次からなんだけど、それから姿は見ていない」
 男が襲えば一刀で切り捨てて、女が襲えば毒刃となる。男は武士、
女はくノ一というのも、そうしたやり口からそう思うだけというこ
ともあっただろう。身の丈だけで女と決めつけるわけにはいかない。
 おそらく敵は、女ばかりの部落ということで脅すつもりでありも
しない殺し屋の名を使った。ひとりを斬ってみたが女どもは動かな
い。そこでさらに惨いやり口に変えたということもあり得る話。あ
のとき崖の上で楓を襲い、風のごとく消えている。敵は忍びとみた
ほうがいいだろうと才蔵は考えた。
 千代が言う。
「あたしら逃げようと考えなくもなかったけどさ、銀のことがあっ
て動けなかった。あたしさえ見切っていればと思うけど・・」

 才蔵はうなずいて言う。
「最後に訊くが、そういうことがはじまってから新たな娘は買い取
ったのか?」
 千代は横に首を振った。
「増えれば危うくなるだけさ。女衒(ぜげん)にせよ、銭が尽きた
と思ったのか来なくなったよ」
 そしてそのとき、お泉が問うた。
「はじめに斬られた娘だけどね、やはり以前はくノ一だった? 歳
はいくつで見目形はどうだった?」
「売られた娘さ、くノ一なんかじゃない。二十歳になったばかりで
ね、それは愛らしい娘だったよ」
「それを一刀で? 前からかい? 後ろからかい?」
「後ろから袈裟切りに一刀で」
 それを聞いたお泉は考える素振りをし、チラと才蔵に横目をなげ
た。お泉が言う。
「ちょっと妙だね、それほどの娘なら嬲ろうとしてもよかったはず。
斬るにしたって前からだろうに」

 才蔵はお泉の言いたいことが見透かせた。男なら心が動く愛らし
い娘を無慈悲に殺れるのは同じ女ゆえの残忍さ。身の丈こそ大きく
ても女はいる。確かに敵が男であれば解せないところだ。
 さらにお泉は言うのだった。
「江戸あたりの郭(くるわ)なら、くノ一を潜り込ませて遊びに来
る侍どもを探っているはず。それにあたしの里にだって身の丈六尺
(180センチ超)の女はいるんだよ」
 なるほどと才蔵は思う。太平の世となって忍びは見捨てられてい
る。しかしくノ一となると使い道はあるもので、女が稼いで一族を
支えているということもあるだろう。
「わかった、よく打ち明けてくれたな」
 そして才蔵はお泉に言う。
「おめえは千代さんとここにいろ。俺はそのへん歩いてくるぜ」
 地形を探る。それぐらいのことはわかる。
 それから才蔵は千代にも言う。
「そんとき女たちを少し借りるぜ、俺ひとりじゃ怪しまれる」
「それなら司がいるよ、やっぱり元はくノ一でね、少しなら剣も使
える。あたしが言ったって言ゃあいいから」
 お泉が言った。
「丸腰で出ちゃ危うい」
 才蔵は背を向けざまにちょっと手を挙げて、洞穴を出て行った。

 洞穴の深みから岩湯のあるあたりまでともに歩み、千代はお泉の
背をちょっと叩き、外の光に目を細めながら言うのだった。
「離れちゃだめだよ、ずっとね。あたしらなんか女同士の夜なんだ
から・・」
 女同士で慰め合う。明日の命の知れないくノ一には身につまされ
る話であった。千代は静かに歩き出す。

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