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夏の北風 二話



二話 逞しい失踪者

 そのとき老爺の家から三百メートルとは離れていない吹上浜と呼ばれるところで、
若者は昼飯の支度をはじめていた。この旅のために買った中古のオフローダー。
旧型なりによく手入れされたジムニーを停め、その横に一人用のテントと折りたたみ
のチェア。そよ風程度の風では車外に出てキャンプ用の小さなオイルコンロが充分
使える。湯を沸かしてレトルトカレー。料理といっても飯盒を使うような本格的なもの
ではなかった。数日をそうして過ごし、たまにはモーターホテルに入ってのんびり過
ごす。若者はそうやって生きてきていた。

 と、岩肌の坂を少し上がった道路沿いにバタバタというバイクの轟音。エンジンが
停められたとき、若者はいままさにできそうだったカレーを離れて眸を向けた。
 道沿いに少しだけある平坦な路肩にバイクを停める。路肩には土が溜まった土手
があって草木が生え出し、したがってその下にあたる吹上浜が見下ろせない。だか
ら誰も気づかなかった。吹上浜へと降りる降り口は剥き出しの岩場であって、まさか
クルマが入り込むとは思っていない。ジムニーにしかできない芸当だった。

 バイクを降りて、揃ってヘルメットを置き、数メートルの岩場を歩くと吹上浜は見渡
せる。あれから一時間とは経っていない。ついさっき帰ったばかりの千早の姿を見つ
けると、若者はちょっと手を上げて千早に微笑みながら、その娘を従えるようにやっ
てくる黒いライダースーツに身をつつんだ歳嵩の女に向かって会釈した。

 このとき瑠美はとっさに、どこかで見たような・・と感じながら歩み寄っていた。

 若者は背が高い。瑠美は長身の父親似で女ながらも百七十センチはある。にも
かかわらず、そんな瑠美が見上げるほど若者は長身だった。百八十三センチ。野宿
暮らしのせいか陽に焼けて肌が黒く、頭は角刈り。スリムなのだがTシャツの胸板が
隆々としていて、何より足腰の筋肉が張り付くジーパンに浮き立っている。顔立ちは
ハンサムとは言えなくても精悍そのもの。思春期の千早がイカレるのも無理はない
と思うと可笑しくなってたまらなかった。

 千早は嬉しくてならないといった様子で、おばの背後に隠れるように笑っている。
間際まで歩み寄り、コンロの上で煮えているレトルトカレーをチラと見ながら瑠美は
言った。
「お昼らしいけど、ちょっといいかしら?」
「はい、どうぞ。はじめまして」
「こちらこそよ、はじめまして。私はこの子のおば。たったいま実家に戻ったところ、
ちょうど二人がここから戻ったタイミング。さっきの爺ちゃんが父親なのね。千早は
姉の娘です」
「あ、はい、そうでしたか。ママにしてはお若いなって思ったもので。それにハーレ
ー。あの音は間違いない」
 千早が背中でくすくす笑う。瑠美もまたちょっと笑った。都会の男は話しが滑ら
か。瑠美は斜め視線で笑顔を向けて、ちょっとおどけた。
「ママだなんて失礼だわ、私はまだ三十四、この子は十五で計算が合いませんか
ら。ちょっと座っていいかしら?」
 若者はチェアをすすめ、自分は岩に腰掛ける。千早はそんな二人の間の瑠美
寄りにあった岩のコブに腰掛けた。ぴちぴち若い真っ白な太腿が眩しいほど。そこ
へチラと眸をやって、瑠美はちょっとため息。
「あのね、誤解しないでほしいんだけど、あなたに出て行けとかそういうことじゃな
いのよ。ここは危険なの。海は突然荒れるでしょ。ここらの風は台風並よ」
 とそのとき、たまりかねたように千早が割り込む。追い出してほしくない。
「うん、そうなの。でねでね、さっきも帰る道々お爺ちゃんが言うんだ。もしよければ
ここじゃなくて常爺(つねじい)の家はどうかって」

 そんな話は聞いていない瑠美。そうなのと問い質すような視線に千早はこっくり
うなずいた。
「なるほどね、そういうことならいいかもね」 と、千早に向かってうなずくと千早は
パッと笑顔になった。瑠美は言った。
「常爺さんというのは、ウチのさらに少し向こうの家にいた人なんだけど、半年ほ
ど前に九十三で死んじゃった。家は空き家で放置されてる。家の前にテントもでき
るしクルマも置ける。ここらにガスはないけど、いまならまだ水もあるし電気も使え
る。心配なのよ、あなたのことが。干渉なんてしないから引っ越したらどうかしら?
千早もお気に入りみたいだし」
 え・・と、千早は焦ったような面色で、けれども横を向いて笑いたくてしかたがな
い。見れば見るほどカッコいい。
 瑠美は言った。
「そうしてくれない? 千早のためにもそうしてほしい。ここらがいいなら気が済む
までいればいい。だけどここではダメ。荒れた海の怖さを知らない、きっとそうだと
思うから。あなた、ご出身は?」
「東京です」
「ほらね。いくらキャンプに慣れてたって海の悪魔には勝てないから」
 若者は大袈裟すぎると内心思った。
 しかし瑠美は言った。
「妹の私が三十四で、この子のママがいま四十。離れすぎだと思わない?」
 若者はハッとしたように問うた。
「間に誰か? もしや海の事故で?」
「兄がいたわ。海とはそうしたものなんです」

 若者はしばし瑠美を静かに見つめ、それからうなずいて言った。
「わかりました、ご親切にありがとうございます。一昨日ここに来てみて気に入っ
て、しばらく居たいと思ってました。そういう場所があるならぜひ」
 千早は嬉しい。追い立てるつもりで来たわけじゃない。それをわかってくれたこ
とが嬉しかった。
 話はついた。よかったと思いながらも、瑠美は、若者がそうした奴だからこそ気
になった。ちょっと眉を上げて問う。
「まさかとは思うけど」
 言葉の意味を察した若者が、違う違うと千早に向かって首を振りながら笑顔を
見せた。白い歯が眩しい。
「ちょっとあって独りになりたくて。でもそれほど弱くはないつもりです」
 瑠美は、間近にいながら若者の顔を覗き込む。
「どこかで見たような気がするの。あなたって、どなた? 素性がわかったほうが
父だって気が楽だし。父は網元と呼ばれてますが、この集落をまとめてる。得体
の知れないままでは皆に対してだって言葉に困るってこともあるでしょう」
 若者はちょっと笑って黙り込んだ。千早は心配。だけど知りたがっているのは
千早がいちばん知りたいわけで。

 そのとき瑠美が気づいたようだ。
「違ったらごめんね。あなたってもしや野球の?」
 若者は、少しの間を置いて、今度こそ顔を上げて瑠美を見つめた。
「昨シーズン後に戦力外です。横浜シーシャインズの投手だった瀬田慎吾と申し
ます」
 瑠美は千早と視線を合わせて目を見開いた。横浜シーシャインズの瀬田と言
えば、大卒ルーキーとしていっとき活躍したスパースター。
 千早は野球を知らなかったが、そう言えばと瑠美は顔をまじまじ見つめる。瑠
美の離婚した旦那というのが野球好きで、その頃は名古屋に本拠を置くセ・リー
グ球団『中部カージナルス』を旦那と二人で見ていたものだ。
 しかし瑠美はいきなり胸が苦しくなった。瀬田はまだ若い。計算してみるとまだ
二十七、八のはず。その歳でお払い箱となった選手の気持ちを思うとたまらない。
 瑠美は言った。
「わかったわ、ごめんなさい、知る人のないところにいたかったのにね。だったら
なおさらよ、気が済むまで居ればいいわ」
 瀬田は微笑んでうなずいた。
「ありがとう、嬉しいですよ。ここは凄い、なんて綺麗な海なんだと思いまして。じ
つは僕・・」

 瀬田は、実家は東京練馬。しかしハマスタに近い横浜にマンションを買って住
んでいた。いまから三月ほど前のこと、実質的に失踪に近い形で行方をくらまし、
地方を点々としながら生きてきていた。
 瀬田は語った。
「僕にも姉がいて、愛知の岡崎にいるんですが、姉にだけは行く先は告げてま
す。親には内緒にしてくれてって言ってあり」
「あらそう、私も名古屋よ。私はフリーで写真撮ってる」
「そうですか名古屋に・・あ、なんかしみじみしちゃいましたね」
 うつむいてしまった千早を気づかう瀬田。瑠美は言う。
「いいのよ、そんなこと」
 瀬田は笑顔をつくって千早を見つめ、視線を瑠美に戻して言った。
「これからどうしようと思ったときに、いっぺん独りになって考えてみたくなり、最
初は諏訪湖のあたり、信州、それから新潟、あっちこっちと。それで一昨日、何と
なく走っててここに来たってわけですよ。正直落ち込んでましたんで、海を見て気
が晴れたと言うのか」
「辛いでしょうね」
「まあプロってそんなものです。ただしかし、チームメイトやかつての仲間がいい
奴ばかりで、しきりに心配してくれるんですけど、そんな情けがよけいに辛くて。
チームからも球団職員にならないかって誘われてるし・・だけどもうそっちにはい
たくない。弱いんでしょうね、やっぱ」
「弱いものよ人間なんて。ごめん、ほんとにごめんね、訊くんじゃなかった」
 大人同士で語り合う瑠美のそばで、千早は声もなくして聞いていた。千早なり
に奈落の底に落ちた若者の苦悩を想像している。

 瀬田は静かになった千早を気づかい、ぽんと大袈裟に自分の腿を両手で打っ
て、強い口調で言うのだった。
「さてと! せっかくのカレーだから、これだけ喰って動きますかっ。その場所へ
はどう行けば?」
 瑠美は言った。
「この先の右側に最初に出てくる大きな家がウチ。バイクを目印にしておくから
寄ってちょうだい、場所を教える」
 と言いつつ、すっかり落ち込んでしまった千早を横目にして、さらに言った。
「そっか、千早がいたわね」
 えっ・・と、横から視線を投げる千早。
「この子を置いてく。乗っけてやって。場所ももちろん知っているし、この子った
ら、あなたのファンになっちゃって、カッコいいってのぼせてる」
「えっえっ、そんなこと・・嫌だぁぁ・・」
 赤くなる千早を二人で見つめて、瀬田はいよいよ明るさを取り戻す。
「わかりました、そうさせてもらいますから。千早ちゃんもそれでいい?」
「ぅ・・うん、いいけど・・」
 ますます赤くなる中学生の千早。大人二人で笑って、瑠美だけがその場から
いなくなる。

 置き去りにされた千早は恥ずかしくてならない。
「お、そうだそうだ、カレー喰うか?」
「えっえっ・・あ、カレーライス・・あるの?」
「ある。カレーもうワンパックあるし飯もあるから一緒に喰おうや」
「はい! おなか空いたぁ!」
 一転して弾けるように笑う千早が眩しく、瀬田は奮い立つ思いがした。
 千早がいてくれてこの海があれば振り切れそうだ。そんな気がしてならなかっ
た。

2 コメント

そとだ壱閒  

こんにちわ。

小説とても面白いです。先の展開が楽しみです。

2019/04/25 (Thu) 10:36 | REPLY |   
岡崎潤

管理人  

いえいえ、お恥ずかしい・・

ふと戦力外となった選手の生き様を書いてみたくなったんです。

ベイスターズ7連敗・・なんでこうなるのって感じですワ。

2019/04/25 (Thu) 12:08 | REPLY |   

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