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夏の北風 四話



四話 待ちわびた夏

 突然目の前に現れて、だけど一陣の風のように去って行った瀬田という未知
の存在。戻ると約束はしていても私なんてまだ子供。ときどきメールをやりとりし
ても、一日また一日と期待よりも不安のほうがひろがって、七月二十五日。
 夏休みに入って五日が過ぎて、千早は悲しくなっていた。きっと戻って来ない。
夢だったんだと諦めようとしていた。
 ところが、そんな一日が過ぎようとした夕刻になって、名古屋にいるおばの瑠
美から千早のスマホにメールが入る。

 取り急ぎ、良きメール。期待なさい!(笑)
 彼のことよ。用事を済ませて名古屋にいる彼の
  お姉さんに顔を見せ、ついでに私を訪ねてくれたの。
 これからそっちへ向かうって。
 嬉しいね千早!
 夜通し走るそうだから明日の朝にはそっちに着くはず。

 ・・というものだった。
 
 瀬田との最後のメールは二日前。そのときは近々にと言われていただけ。
 胸がキュゥと締めつけられる。瀬田がいなくなってから千早は、瀬田の暮らす
横浜の景色を想像した。ランドマークタワー、ベイブリッジ、山下公園もあれば中
華街もあり、そしてもちろん横浜スタジアム・・そんな光景はテレビを通じて知って
はいたが、瀬田の姿が重なるとがぜんリアリティを帯びてくる。
 その中にいる私ってどんなだろう。大都会にひろがる海ってどんなだろう。
  逞しい彼の背中をチラチラ見ながら、きっと私は得意げに歩いているはず・・。
  そうやって想像をめぐらすと進学も東京に出たくてならなくなる。いまはまだ親
にも祖父にも言ってなかった。もう一度会えてから。もし本当に会えるのなら夏休
みを過ごしてみて決めよう。
 彼にとって迷惑そうならやめよう・・そうするべきよ。十五歳の少女なりに真面
目に思い詰めた感情だった。

「ねえ、お母さん。明日から爺ちゃん家、行っていいでしょ?」
「いいわよ。いてもたってもいられないって感じよね」
 母親はチラリと視線を流して含み笑う。
「へ?」
 きょとんとする千早。母親の佳枝(よしえ)は可笑しい。
 佳枝は四十歳になる。妹の瑠美が父親似で背も高くボーイッシュなイメージな
ら、姉の佳枝は、いまは亡き母に似て、背丈は中三の千早に追いつかれ、おっと
りした性格の女性らしい人だった。
 母は言った。
「聞いてるわよ、おばちゃんから。瀬田さんて人のことも聞かされてる。もう嬉しく
て嬉しくて舞い上がっちゃってるんだから。色気づいちゃって、もうっ・・」
 ほがらかに笑う母。娘がまだ十五といっても相手は若くて素敵な男性。それを
知ったからには、瑠美としても、おばとして連絡しないわけにはいかない。
 相手が横浜ということは、もしかすれば東京の高校に行きたがる? そのぐら
いのことを見抜けない大人たちではなかった。
 千早は口を尖らせてちょっと怒る。でもすぐに、ぱぁっと笑顔になった。
「じゃあ、いいのねっ?」
「いいわよ行ってらっしゃい。瑠美おばちゃんはね、ああ見えても人を観る眸は
確かなの。男で散々失敗してるんだから」
「ぅくっ・・うぷぷっ!」
「笑ってる場合じゃないっ! おばちゃんも気に入ったって言ってたから、来たら
会わせてちょうだいね」
「うん、それはいいけど・・だってさ、彼氏じゃないのよ。あたし中学生なんだから
ね、わかってる?」
「わかってるわよバーカ。お相手だってわかってますって。でもね千早」
「うん?」
 佳枝は、流し台から娘を振り向き、割烹着で手を拭きながら言うのだった。
「あなたが二十歳で彼は三十二。二十五で三十七よ。ゾーンじゃない?」
 ドキリとした千早。
「あ・・うそぉ・・親でしょ、あなた?」
「まあね。逆を考えると笑っちゃうけど。ふふふ」
「逆って?」
「彼が二十歳のとき千早は八つ。それはちょっと許せない。あははは!」
 母子でけらけら笑い合う。言われてみれば確かにそうで、歳嵩をスライドさせ
ればそうなっても不思議はない。しかしもちろん、そこはジョーク。千早としても
現実味のある対象とまでは言えなかった。

 そしてそんな話をし合った直後、千早のスマホにメールが入る。いろいろあっ
て忙しく、遅くなりました。明日には常爺さんの家に着くからね・・というもので、
千早はドキドキが止められない。中学生の私との約束を守ってくれた。憧れの人
が憧れの都会の風にのってやってくる。
 それから千早は、二階にある自分の部屋でナップサックに着るものを詰めて
いた。十五歳の娘であって、それに夏ということで、詰めるといってもたいして時
間はかからない。
  階段下から声がした。
「でも千早、ちゃんと勉強しておかないと」
「わかってるぅ! 爺ちゃん家でちゃんとするもんっ!」
 ナップサックには宿題のドリルも入れてある。
 あのときもっと長かった黒髪は、夏だから少し短くなっていた。
 夏だから? ・・ではなくて、瀬田に会うため。夏休みに入る前に整えてあった
のだった。
 勉強机に置いたスタンドミラーを覗き込み、そう言えば陽に焼けて黒くなった
Tシャツの襟ぐりを下げてみる。水着の跡のように段差があってみっともない。
千早は、これが初恋なんだと気づいていない。

 翌朝は早くに目が覚めた。夕べはいろいろ考えていて眠れなかった。なのに
いつもより早く、六時過ぎに目が開いた。普段着のショートパンツスタイルで階下
に降りると、父親の宮本庄一はすでに家を出た後だった。宮本家は代々農家で、
古い母屋のそばに夫婦の家を建ててもらって住んでいた。父方の祖父も祖母も
高齢ながらぴんぴんしている。農家の朝は早く、雨でもない限り、揃って朝を食
べたことはなかった。
 母親の佳枝がいつものように割烹着姿で台所に立っている。
「早いわね。さっさと食べて行きなさい。お爺ちゃんにコレを持ってって」
 と言って、タッパに詰めたイカの煮物が用意されていて、朝からその同じ煮物
で朝食だ。ここらの田舎料理。千早はそういうことも、都会ではどうなんだろうと
考えてしまうのだった。瀬田さんの朝は何? 頭の中は瀬田だらけ。

 食べて出る。5段変速付きのママチャリなのだが、背中にナップサック、前カゴ
には毎回爺ちゃんにあげる何かを積んで走っている。
 リアス式の海岸線に沿って四キロあまり。アップダウンがあって自転車ではキ
ツイ道だが、若い千早はものともしない。もうすぐ会えると思うだけで漕ぐ筋力が
違ってくる。
 今日もまたすっきり青い夏の空。朝なのにすでに暑くなってきた。
 風を切って走りながら、ふと考えた。
 テントに泊まるの? だとしたら暑いよね? お風呂はどうする? 常爺さんの
家ならエアコンだってあるんだし・・それにご飯はどうするつもり? 一日や二日
じゃないんだし買い物はどうするの? ああそうだ、洗濯は? 汗臭くてあの人が
腐っちゃう・・。
 次々に思い描き、なおさら千早は嬉しくなった。ずっと辛かった彼のために、あ
たしが何かをしてあげたい。
「わぁぁダメだぁ! 妄想ムラムラ・・勉強なんてムリっ・・あははは!」
 声を上げて笑いながらダッシュする。朝の海岸線にクルマは少ない。

 古く、そしてやたらに大きい祖父の家。時刻は朝の七時を過ぎた。
 千早が自転車で最後の峠からの下り坂にかかると、祖父の高倉治喜(はるの
ぶ)は、家の前に出て草むしりをしていた。漁師の朝は農家よりもさらに早く、網
元の家には無線があって、暗いうちからやりとりしている。
過疎が進み年寄りばかりとなった漁師の村には小さな漁船が三隻あるだけ。
かつては大きな船もあったのだったが、それらは処分して年老いた網子たちに
分配し暮らしの足しにまわしていた。
 治喜は七十二歳で見た目はまだ若そうだが、二年ほど前に肺気腫を患って
からは漁に出られなくなっていた。老爺はそんな自分がもどかしい。しかし俺が
倒れたらおしまいだと歯を食いしばって頑張っていた。
 草をむしりながら視野の片隅に動くものを見つけ、元気よくやってくる孫娘の
姿を見ると力が湧く。あのときの瀬田と言う都会の若者。娘の瑠美からも聞かさ
れていて、一度は帰るが夏休みに合わせて戻ってくることも知っていた。
 そのことで治喜はむしろ嬉しい。田舎に閉じこもる暮らしを千早にはさせたく
ない。それについては母親の佳枝ともすでに話し、東京行きを言い出すようなら
許そうと決めていた。

 中学に入るときに買い与えた赤い自転車は、海の潮風であちこちが錆びてい
た。海辺の暮らしは厳しい。手入れしても錆びていく自転車を見るたびに解き放
ってやりたいと思っている。弱ってきているわしなど死ねばいい。そうすれば千早
は解放されると考えることさえあった。
 自転車が孫の声を運んで近づく。
「爺ちゃーん、おはよう!」
 立ち上がって笑顔になる。しかし心の中では、だからこそ不憫に思えてならな
い。千早の母、佳枝の嫁ぎ先は、宮本の家から話があって自分が仲立ちとなっ
たもの。昔は見合いがあたりまえ。妹の瑠美は嫌がって出て行った。娘らの親と
してわしは古かった。ゆえにその子供の千早までをを縛り付けることになってし
まった。忸怩たる思い。
 赤い自転車が見る間に近づき、家の前へと滑り込んでくる。いつも通りのショ
ートパンツで子供らしい笑顔。けれども千早は大人になった。眩しいほど若い娘
になってくれたと祖父は思う。
「爺ちゃんコレ、母さんからよ、イカの煮物」
「おぅ好物だ」
「もう朝はすんだんでしょ?」
「とっくだよ。それより千早」
「はぁい?」
 高校は東京へ行け・・喉まで出かかった言葉を老爺は見事にごまかした。
「奴は来るのか?」
「うんっ今日来るって。もう来てるかも。あのね、昨日おばちゃんのところに寄っ
たんだって」
「名古屋へ?」
「そうそう、あの人のお姉さんもそっちだし。それでね、夕べおばちゃんがメール
くれたんだ。これから向かうそうだよって」

 それは瑠美と佳枝との会話であって祖父は知らない。
「そうかそうか、じゃあもう着いてるかもな」
「かもしれない。夕べは高速のパーキングで過ごしたそうだから、着いてると思
うんだけど」
 祖父の家を通り過ぎ一キロ弱の距離に空き家となった常爺さんの家はある。
通過したのが暗いうちなら爺ちゃんの家には寄らないだろうと千早もそう思って
いた。老爺は微笑み、千早の背中を押してやる。
「わかったわかった、ここはいいから行っといで」
「うんっ」
「それでそのとき言ってやるんだ。常さんの家を使えとな。テントはいかん。二人
で野宿するならいいが」
 二人で野宿・・それを聞いたとき千早は、おばちゃんも母さんも、大好きな爺ち
ゃんまでが認めてくれていると感じていた。嬉しくてならないのだが、あの小さな
テントで二人きり・・と考えただけで頬が赤くなってくる。
「野宿じゃないよ古いんだからぁ。キャンプって言うのっ」
 懸命におどけようとするのだったが恥ずかしくなってたまらない。
 千早はペダルに足をのせた。
「じゃあ行ってみるね」
「おぅ行け行け。常さんの家を使えと言うんだぞ」
「わかったって。さっきも聞いたぁ。じゃあねっ」
「今夜はどうするつもりだ?」
「あ・・もうっヤだぁ! もちろん帰ってくるよ。あのね爺ちゃん、あたしまだ中三
なんだからねっ」
 こぼれそうな笑みをごまかすように背を向けて走り去る千早。その溌剌とした
後ろ姿に、老爺は東京へ押してやろうと考えていた。

 道沿いの左側、つまり山側にわずかに拓けた林に囲まれた平らな土地に常
爺さんの家はあり、それはトタン屋根の平屋でひどく古い小さな家。ダッシュで
駆けつけてみると、家の前にジムニー。あのときのテントがクルマの横にすでに
張られて、クルマの向こう側から白い煙が上がっていた。家の裏へと回ると林
の木々の狭間に遠くの海が見渡せる。
 ああ、いた! 嬉しい! なのに脚が震えてペダルがうまく動かない。母さん
が妙なこと言うから、あたし女になっちゃった・・ふと考えて笑う千早。
「お兄ちゃん、いるんでしょ!」
 クルマの陰から長身の瀬田が立ち上がる。
「よぉ、チィちゃん、戻ってきたぞ」
「うんっ!」
 あれから度々かわしたメールの中で、互いにそう呼び合っていたことは瑠美
も知らない。
 道筋からは見通せないようジムニーを盾として、裏側にテントを張ってチェア
を置く。キャンプ用のカセットコンロに湯が沸いて、どうやら朝食のようだった。
またしてもレトルトカレー。一目見て千早は笑う。
「またカレー?」
「またって何だよ、ひさびさなんだぞ。横浜では違う」
 そんなことはどうでもよかった。瀬田の笑顔を食い入るように見まわす千早。
あのときのことは夢ではなくて、瀬田は精悍でカッコいい。
 千早は笑った。
「あーよかったぁ、何も変わってないし」
「このバーカ、たった三週間で変わるもんか」
 笑い合い、瀬田の笑みが静まった。
「遅くなってごめん。いろいろきっちり決めてきたから。まあ座れ」
「うん」
 瀬田のチェアに千早が座り、瀬田は放置された切り株の丸椅子に腰掛けた。

 瀬田も千早もあのときのままのスタイル。過ぎ去った三週間あまりの日々が
時差をなくしてスキップしたようだった。ジーンズにTシャツの瀬田。ブルーのショ
ートパンツにアニメプリントのTシャツの千早は十五歳。けれどこのとき瀬田は、
千早を一目見て何かが変わったと感じていた。いきなり大人になって現れたよ
うな気がしてならない。
 千早が言った。
「きっちり決めたって、どういうふうに?」
「まず先に球団に顔を出し、誘われていた球団職員の話を断ったんだが、そ
れでも、いつかまたよければ来いとは言ってくれた」
「そうなんだ? それでいいんだ?」
「うむ、それでいい。俺は野球バカだった。野球以外に何もできないし何も知
らない。だから目標を失って抜け殻になってしまった。チィのおかげで気づか
されたんだ」
 千早はちょっと首を振って微笑んだ。やさしい言葉が少女をつつむ。
「もちろんチームへも顔を出した。みんないい奴ばかりでね。しかし同情は嬉
しくないとツッパっていたんだが、それも違うと思い知らされた。いずれまた会
おうと言って別れてきた」
「うん、よかったね」
「コーチにも・・」 と言いかけて瀬田は、寂しそうにちょっと笑った。
「コーチって?」
「面倒を見てくれたピッチングコーチだよ。ハマの18番を背負った男。一浦
大輔と言ってね、俺たち投手の精神的な支柱だった。その人に『行方不明と
は何事だバカ野郎』って怒鳴られて、だけど困ったことがあったらいつでも来
いって言ってくれた。困ってるから金貸してって言ってみたら、そりゃヤだよと
言われてしまった。ははは」

 冗談をまじえながら語る瀬田。千早はうるうるしはじめる。私を一人前だと
認めてくれてる。そうでなければ深いところを逐一話したりはしないだろう。
 ダメ泣いちゃう・・と思ったときに格好のカムフラージュ。
「あっ、思い出したっ」
「は?」
「この家を使っていいからって爺ちゃんが。電気も水もあるからさ、お風呂と
かも使えると思うし。鍵なんてかかってないし、テントよりはいいだろうって」
 しかし瀬田はきっぱり言った。
「嬉しいがそれはいいんだ。すべてを失ったと思ったとき、あの場所にテント
があって瑠美さんやチィとも知り合えた。新しい俺の原点があると思うし、も
がいてみたい」
 千早は声もなく瀬田を見つめた。強い人だと感じる千早。
「・・うん、ならいいんだ、もう言わない。でもお兄ちゃん」
「うむ?」
「きっと腐るよ・・うぷぷ・・」
 腐ってヨレヨレの瀬田を想像すると笑えてしまう。

2 コメント

そとだ壱閒  

こんにちわ。

ハマの18番、一浦大輔…のくだりには思わず吹いてしまいました(笑)
何度も同じことを申して申し訳ございませんが、内容おもしろいです。
先の展開が気になります。ブログ記事という形で、自由に拝読させて頂くのが
申し訳ない内容に思えます。そこらに書店で出回っている数多の小説よりも
おもしろいというのが正直な感想です。
差し出がましいことを申してしまいますが、ここで自由に読ませてしまうには、
あまりにも勿体ないので、出版社へ売り込むとか
商用ベースに乗せるとか、そういう方向にいけたらいいなと思っております。
余計なことを申して大変失礼いたしますが、以上が率直な感想でございます。

2019/04/27 (Sat) 10:21 | REPLY |   
岡崎潤

管理人  

ネーミング苦労

そうなんですよ、人名には苦労しますし、チーム名なんて
読捨シャイアンズ~日中ドベゴンズ~にするわけにもいかず、
けっこう悩んだりするんです。乳酸菌て英語で何だ?・・と
ヤクルトの名前を考えてみたりもする。

先の展開については、それなりに長篇になると思いますので、
どうなることやらといった感じですかね。
ご愛読いただき、感謝! (笑)

商業ベース! なんと魅力的な言葉でしょう。(爆笑です)

2019/04/27 (Sat) 11:47 | REPLY |   

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