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夏の北風 三十話



三十話 ツインワイフ

 麻紗美がやってきて恵子を連れ出している。ショップでひさびさ顔を合わせた
山田と西浦。とりわけ西浦は、このところ距離ができてしまったショップを手伝い
たくてしかたがない。恵子がいなければ都合がよく、西浦につられて山田も店
員に戻っていける。
 二人のそんな様子を横目にして微笑みながら、瑠美は瀬田を誘い出す。ショ
ップから十分ほど歩いたところに古くからありそうな喫茶店がある。瀬田は軽く
食べて、西浦と昼を済ませていた瑠美はアイスティ。週末でも街から離れたこの
へんでは狭い店内に客はまばら。遠くの海を見渡せる窓際に席をとった。誘い
出したからには話でもあるのだろうと瀬田は感じていたのだが・・。

 瑠美は言った。
「恵ちゃんとは、いい感じみたいよね? 今度の能登からでしょ?」
 瀬田はちょっと笑ってうなずいた。
 瑠美はわずかに眉を上げただけで真顔のまま言うのだった。
「気になるんだなぁ、それが。あの子ちょっと怖いかもよ」
 それにも瀬田はうなずいた。瑠美が言おうとすることは想像できた。
 瑠美は言う。
「麻紗美は霊が見える子よ。なのに千早のことを何も言わない。あたしが訊い
ても何も言わない。そこがちょっと・・」
 やはりそうか・・瀬田は、うんうんとうなずいて、そして笑った。
「恵子にはチィが重なってる。そんな気はしてたんです。うまく言えませんが身
構えなくてもスッと寄り添える何か・・とても拒めないし拒みたくない何か・・出会
った頃の佐野ちゃんはそうではなかった。おそらく最初の奥秩父から何かが変
わった」
 瑠美は眉を上げて首を傾げ、瀬田の眸を覗き込む。
「それがわかってて、それでもいいの? 千早が取り憑いてるとしても? 怖い
ことかも知れなくてよ? 千早はもう千早じゃないんだから」
 瀬田は微笑む。苦笑ではない男らしい笑顔。瑠美は千早への深い想いと、も
しかしたらその千早に操られて心を開いた恵子への慈愛のようなものがあるの
ではと瀬田に対して感じていた。瀬田は大きな男になった。あの頃とは別人なの
だと感じてしまう。

 瀬田は言った。
「いま思えば、中三だったチィを愛しはじめていたのかもと、そんな気がして。
高校それに大学がいいならそれさえも、僕はチィを待ったと思うんです。恵子は
やさしく、じつにしなやかな女性です。チィだって人を観たと思うんですよ。誰で
もよかったわけじゃない。この人ならお似合いだって、そう感じて恵子の背中を
押したのでしょう。であるなら受け止めてやりたい。チィの想いも嬉しいですし、
恵子の想いももちろん嬉しい。チィの面影が残る常爺さんの家で結ばれたんで
す。これは運命だと感じてしまって」
「愛に生きる覚悟ができたと?」
 瀬田は深くうなずいた。
「それだとカッコよすぎですけどね。あのときチィの眠るお墓で、一歩控えて後
ろにいた恵子を振り向いたとき、涙ぐんでくれていた恵子を見て、こらえていた
涙があふれてしまってどうにもならない。恵子は僕を抱いて一緒に泣いてくれま
した。恵子とのこと、千早が導いてくれていると感じましたし、この人だと僕の中
で響く何かがあったんです」
 瑠美は、ふぅぅっとため息を漏らして微笑んだ。
「だったらいい、何も言わない。そこまで想われれば千早も恵子も幸せよ。あた
しだって・・ふふふ、あんまり人のことは言えない立場で」
 そう言って含み笑う瑠美に、微妙な意味を感じた瀬田。
「瑠美さんとのこと、西のご両親も賛成なさっているようですね?」
「そうなのよ、大歓迎って感じでね。まさかって思わない? 愚息を男にしてや
ってくれって義父さんに言われる始末で」
「なるほど・・もはや姐御?」
「あははは、そうそう姐御だわよ立派な。でも私だって感動してるの。男心の精
一杯を向けてくれる彼こそ男。・・ふふふ、じつはね、ナイのよ」

 と、嬉しそうだが、なかば苦笑するような面色の瑠美。
「は? ない?」
「なる早で病院行かなくちゃって思ってる」
「あ・・そうですか。西はそのことを?」
「まだよ。言ってません。向こうのご両親は学生結婚でいいから早くしちゃえって
乗り気なんだけど、できちゃった婚ていうのはどうなのかしらって、ちょっと迂闊
だったなって思ってて」
 瑠美は舌先をちょっと出して照れて笑った。魔女の笑みか。
 瑠美は言った。
「瀬田さんも、愛の周辺なんて女に任せておいて突き進むことよ。彼にもそう言
ってます。ちまちま考えてるようじゃ男じゃないよって。いつまでも瑠美さんとか
瑠美ちゃんとか、いい加減になさいって叱ってやったし。そしたら彼ね、感動しち
ゃって涙ぐんで『瑠美』って呼んでくれたんだ・・カワユイんだもん」
 愛は女に任せておけ・・能登で最初に千早に出会ったときからそうだったよう
な気がした瀬田。安心できる何かが千早にも恵子にもあると確信できた瀬田だ
った。

 ショップに戻る。
 そのとき麻紗美も恵子も戻っていて、麻紗美はひさびさに会う瑠美を見つけ
ると寄り添って楽しそう。山田と西浦は店員気取りだったし、一瞬浮いたような
存在となった恵子を、瀬田は仕事を装ってショップの裏へと連れ出した。
 恵子は駐車場をきょろきょろ見渡す。ジムニーにもデリカワゴンにも荷物なん
て積んでないはず。業者のクルマも来ていない。
「はい、何か?」
「仕事じゃなく言っておきたいことがあってね。・・恵子」
「ぁ・・はい?」
 おんぼろジムニーのボンネットに手を置いてちょっと撫でてやりながら呼び捨
てる瀬田に対して、恵子はハッとして声が小さい。ジムニーには千早の陰がまと
わりついているからだ。
 瀬田は眸を見て素直に言った。
「瀬田恵子になってくれ」
「ぇ・・」
 声をなくし、だけどそのうち、しなやかな笑みをたたえた恵子の面色。微笑み
の眸の底に揺らぐ涙が湧いてくる。
「一緒にハマスタへも行こうな。チームのみんなにも紹介するし報告もする」
 恵子はこくりと一度うなずいて、そのまま瀬田の胸に吸い寄せられていくのだ
った。

 裏口から戻った恵子の眸が赤く、それでいて笑みは満ち足りていた。
 瑠美も麻紗美も一瞬にして気づき、男二人にとっては意味が解せない。それ
でそのとき、うってつけに客はなく、恵子に後れて裏口から戻った瀬田は、西浦
に告げたのだった。
「今日はもういい、おしまいにしよう」
「へっ?」
 西浦のマヌケな声。
 瀬田は言った。
「せっかくこうして集まったんだ、ランドマークのレストランへでも行こうじゃない
か」 と言いながら瀬田は、瑠美に向かって眸でうなずく。
 瀬田は言った。
「恵子さんにプロポーズした。受けてくれた」
「えぇーっ!」
 西浦が眸を見開いて山田と顔を合わせ、そのとき麻紗美が『ほらね、うまくい
ったでしょ』とでも言うように、ちょっと恵子を見てほくそ笑んだこと、同じ女の瑠
美は見逃さない。やはり麻紗美は、恵子に千早が重なることを知っていた・・。

 ショップが主催の二度目の奥秩父。
 六月中旬の土日、梅雨真っ只中の設定だったが、現地では一昨日までの雨
が昨日であがり、一日降らなかったことで校庭もそれなりのコンディション。しか
し夜からまた雨の予報が出ていて、テントではなく校舎を使ったキャンプとなっ
た。
 校門から校舎へ至るコンクリート敷きのアプローチのところに、鉄パイプ6脚
のタープテントを張って料理はそこで。今回は赤木も瑠美も西浦もいない。瀬田
と恵子が二人でバーベキュー、麻紗美と山田が細々と動く。
 しかし今回は、元々恵子の連れだった山崎と砂田が急遽参加。二人とも転職
後の環境にも慣れて休暇を申し出、駆けつけてくれたのだった。二人はどちらも
ユニセックス系のブランドショップに勤めていて、揃ってモノトーンのスタイルだっ
たからムードが違う。ひょろりと背が高く見え、中性的なイメージを醸す都会の若
者。こうしたキャンプに参加して、まさかそんなタイプに会えると思っていなかっ
た若い女性の目を引いて、二人はすっかり人気者。スタッフとして参加したつも
りだったのだろうが、急なことで作務衣の用意ができていない。原宿から抜け出
た二人のシティボーイ。どことなくBLムードのある二人は、なぜか女性陣に注目
された。

 今回の参加者は少し増えて四十四名。急なスケジュール変更にも対応できた
若者ばかり、男が三十、女が十四名、学生も多くいて、今回は子連れの参加者
はいなかった。
 そんな中に一人だけ、ジーンズにワークシャツといったスタイルで、作務衣で
はないもののスタッフの動きをしてくれる者がいた。斉藤だ。今回の参加者なら
ばもっとも歳上。風貌もいかにも野人といったイメージで、キャンプ経験の浅い参
加者たちから信頼を集めている。斉藤は話術が巧み。前回参加の五十七名の
中で数人は二度目の参加ということで斉藤をもちろん覚えていて、彼の言うこと
には素直に従う。今回もまたシーシャインズの瀬田を見たくて集まった若者ばか
り。インスタそのほかで活動を心得て参加を心待ちにしていたからか、スタッフの
指示には素直な対応を見せていた。
 そのとき二つある炭火のコンロのひとつに瀬田、ひとつに恵子が立っていて
バーベキュー。そのどちらにも参加者たちが群がって次から次にキリがない。
 煙と返り油を浴びていて、つくるだけで食べられない恵子に代わって山田が
立った。瀬田のコンロに山崎と砂田。二人はこうした大がかりなキャンプははじ
めてだったから、やってみたくてならないようだ。瀬田に代わって二人が立つと
女性陣が取り巻いて一風変わった二人をイジリ倒す。
 瀬田は斉藤を探した。見回すと、斉藤はちょうど瀬田宿の家『瀬田宿』から出
てくるところ。食材の入ったボール箱を抱えていた。斉藤が歩み寄ってコンロの
そばに箱を置くのを待って、瀬田は恵子と二人で斉藤に声をかけた。来た道を
三人で戻って古い家へと連れ戻す。

 家の中には麻紗美が一人。焼くための野菜を切り分ける作業をしていた。下
ごしらえ。麻紗美は高一だったが日頃から家の手伝いをしているらしく包丁をし
っかり使う。三和土に立つ麻紗美のそばへ恵子が歩み寄って肩を叩いた。
「いいよ交代しよっ、向こう行って食べておいで」
 麻紗美は笑ってうなずいた。
「ひぃひぃだわよ、切っても切ってもキリがない。じゃあ交代ねっ、向こうが心配
だから行ってるよ。主だったところがこっちじゃ何をしでかすかわかったもんじゃ
ないからさ」
 そんな会話を斉藤は聞いていて、首を竦めて笑うそぶり。生意気な麻紗美が
可愛いのだろう。

 そして家の中に斉藤、瀬田、恵子の三人。瀬田は缶ビールを二本抜いて斉藤
にも手渡しながら段差のある上がり框にどっかと座った。恵子は流しに立ってい
て背を向ける。
 瀬田が言った。
「斉藤さんには、お世話になりっぱなしですみませんね」
 斉藤は缶ビールを傾けながら、いいんだよと言うように横に首をちょっと振る。
「俺なりに楽しんでるさ。今回もいい連中ばかりだぜ。あの二人も妙に人気者だ
しな」
 山崎と砂田の二人のこと。瀬田はうなずきながら言った。
「今夜も校舎で寝ますから」
「おぅ、俺もそうする」
「斉藤さんにはこっちで寝てもらってもいいんですが」
 と、瀬田は切り出す。こちらをスタッフ専用として分けるつもりだと打ち明けた。
斉藤はうんうんとうなずいて聞いていた。
「そう言ってくれるなら嬉しいや。作務衣まではともかくも、乗りかかった船って
ヤツだよ。瀬田君の放浪記もネットで見たが、確かに言うようにインスタントキャ
ンプだった。俺だって大差ねえし。だからここが気に入ったのさ。いまどき電気さ
えない家と校舎、風呂もカマドも薪なんて愉快でならん」

 台所で野菜の下ごしらえをしている恵子が振り向き、ちょっと笑った。
「斉藤さんをぜひスタッフにって話してたところなんですよ」
「おぅ、そうか? そう決められると息苦しい気もするけどよ、その昔、散々やっ
てきたからな、山で」
「斉藤さんは、お独りなの?」
 なにげに恵子は訊いてしまった。参加者のリストではそこまで書かせていな
かった。斉藤は一見ゴツイ成りだが、ごく普通のサラリーマン。それだけわかれ
ば充分だからだ。訊いてから、しまったといった面色をした恵子に斉藤は笑って
応じた。
「ずっと独りさ。大学を出たその年の冬に、学生当時の仲間を集めて冬山をや
ったんだ。北アルプス。八人のパーティだったが、その中に片想いの彼女がい
てね。しかしその子は俺じゃなく、メンバーの中の違うヤツを見てたんだが、そ
いつと、もう一人、男の仲間が滑落した」
「滑落・・」
 瀬田は思わずつぶやき、斉藤の横顔をうかがい見た。
「まあ、幸い二人とも助かったんだが、彼女が見ていた野郎の方が脊髄をやっ
ちまって障害を背負ってしまった。それで彼女は身を引いたというのか、俺たち
の前から消えちまった。山をやってると不運はあるもので、以来俺も山はやめ
た。キャンプにしたって、テントってものを思い出したのがつい数年前のことだ
から」
 恵子がそっと言った。
「ごめんなさい、よけいなことを訊いちゃった」
「いやいや、はるか昔のことだから。・・ふふふ、てぇコトで、それから出会いも
なかったし、なんとなく独身でやってきた。彼女が忘れられなくて・・なんてことじ
ゃないんだぜ。ただちょっとショックだった」
 瀬田は思う。俺に似ている。想いを寄せた相手を不運が襲い、彼女の方では
はっきり言ってそんな彼から逃げたということ。

 瀬田は斉藤の肩にそっと手を置いた。
 斉藤は横目で笑う。
「なあに、気にしないでくれ。とっくにもう振り切ったことなんだが、そんなことも
あったから、べったり仲間ってぇのが辛くなるときもあり」
 瀬田はうなずいた。
「わかりますよ、お気持ちは。スタッフどうこうより、斉藤さんは瀬田宿に欠かせ
ない人。そう思ってますから、これからもよろしくお願いしますね」
「うむ、ありがと、嬉しいぜ、いいクラブだ」
 瀬田は言った。
「来月は七月の末を予定してますが、できればそのとき前日あたりから時間を
いただけないかと思ってまして」
「俺に?」
「そうです。瑠美さんと西浦、それに僕と、そこにいる恵子、二組の結婚式を内
々でやりたいと思ってまして」
 斉藤は眸を丸くして恵子へ視線を流し、その眸を瀬田へと戻して言った。
「そうですか恵ちゃんと・・うんうん、いいカップルだ」
 恵子は、はにかんで微笑みながら、こくりとうなずく。作務衣姿の恵子は素朴
で、なおさらチャーミングに映る。参加者の中にいても人気者の恵子だから。
 斉藤は言った。
「そんな大切な場へ俺なんかを?」
 瀬田は応じた。
「ぜひ、ご招待したくて。瀬田宿のフルメンバーが揃いますし、翌日には百人ほ
どの参加者たちと大いに盛り上がろうと思ってて」
 斉藤は、こちらを振り向いたまま微笑む恵子に、ちょっと笑ってうなずいて、
そして言った。
「わかった、ありがたく受けさせてもらうよ。次回は俺も作務衣を着るさ。よしっ」

 よしっと気合いを入れて膝を叩き、斉藤は飲みかけの缶ビールをひっつかむ
と立ち上がった。
「てぇコトはよ、ここにいると邪魔ってもんで、そそくさ向こうへ退散するから。は
っはっは」
 戸口へと歩みながら斉藤は、恵子の肩をぽんと叩く。
「おめでとう、可愛いお嫁さんだ。嬉しいよなぁ」
 恵子は笑顔の花火のよう。
「はいっ、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
「おぅおぅ、こちらこそだぜ。じゃあな、しっぽりやってろ。ひっひっひ」
 笑って出て行く斉藤に苦笑しながら、恵子はやさしい笑みで瀬田を見た。
 瀬田は言った。
「赤木もだが、俺は恵まれてる。いい人だ」
「ほんと。見た目はちょっと怖いけど。素敵な人だわ」
 二人並んで流しに立つ瀬田と恵子。

 そして斉藤が料理の場へと戻ってみると、ぱらぱら雨が降り出していて、山
田の立つ炭火のコンロに見覚えのある若い子が並んで立っている。前回のキ
ャンプで面白がって山田を取り囲んだ女性陣の一人。歳は山田より少し上だっ
た気がしたが、彼女はルックスが若く、学生にしか見えなかった。
 さらに見渡すと、若くピチピチしている麻紗美は男たちに囲まれていて、妖し
いBLムードのある二人は若い女たちに囲まれてしまっている。
 斉藤は可笑しくなった。重いものを引きずっていた人生が、ふと出会った瀬
田宿で変わっていく。そう思うと苦笑せずにはいられない。

 気に入った。奥秩父のこの場所が気に入ったと、斉藤はちょっとうつむき、安
堵のため息を漏らしていた。

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