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夏の北風 終話(中)



終話(中) ここが原点

 豊かに生い茂る夏の自然林の只中にあり、そこだけぽっかり空いたように陽
射しが満ちる清流を見渡して、斉藤は浅く笑って言うのだった。
「ううむ、穴場なんだが、ここではちょっとな。ひっそり訪ねるにはいいかもしれ
んが大勢でテントを張ってとなると・・」
 斉藤と二人であらためて見渡して瀬田も納得できてうなずいた。静かなまま
残しておきたい森の聖域。それほどここは素晴らしい場所だった。
 斉藤が言った。
「ハイキング程度ならいいとしても、そこらでトイレなんて遠慮させたほうがいい
だろうし、そうなると厳しくなるからな。人が多いと飲み食いされるだけでも面倒
なことになる」
 長い時間は留まれないということだ。大人の男だけならともかくも、女の子や
子供連れとなるとさらに管理が難しい。瀬田と斉藤、二人だけの視察。答えが
出せず、引き上げて家へと戻る。

 七月三週の土日がショップのキャンプ。その前日、高校生の麻紗美を含めた
全員が夜には揃うことになっていた。高一の麻紗美は明日からが夏休み。終業
式があって金曜日の今日は学校。終えてから恵子がクルマで連れて来る。
 そのほかすべてのメンバーが昼過ぎには瀬田宿の家に集まった。瀬田はもち
ろん、西浦と瑠美、山田、山崎と砂田の二人、瀬田宿の新メンバー、斉藤と優子。
相変わらずゲストスタッフという妙なポジションで赤木。夜には恵子と麻紗美が
加わってフルメンバー。瀬田宿もカタチになったと、ここしばらく距離のあった瑠
美は感じた。
 瀬田が一人で支えていては無理がくる。年長の斉藤と、実質的にはメンバー
の赤木の存在が大きかった。能登で出会った放浪者が、よくもここまでになって
くれたと瑠美は嬉しい。それは千早の想いでもあったからだ。千早は恵子に寄り
添っていて、欠ける者のないクラブ。瑠美にすれば千早のおばという立場から成
り行きで参加したクラブだったが、その中でほとんど十四歳も歳下の西浦と結ば
れた。そんな彼の子がおなかにいると思うだけで感慨もひとしおといったところだ
ったのだろう。
 恵子と麻紗美だけが揃わない。集まった皆は真っ先に瑠美を祝福した。正式
な結婚式はこの秋と決まった。その前に、なんと西浦の子を授かった瑠美に、皆
は可笑しいやら感動するやら。瑠美は今回さすがにハーレーではなかった。西浦
のジムニーの助手席で妊婦としてやって来ている。まずそれが信じられない。瑠
美の妊娠は前もって知っていたから、顔を見るなり西浦は小突かれまくって照れ
てしまい、瑠美にはやさしい言葉が待っている。妊娠四か月に入るところで、おな
かはそれほど目立っていない。もともと長身でスリムな瑠美だが、今回は乳房が
張って違いが一目で見てとれる。

 夏の奥秩父。夕暮れにはまだまだ早い五時になって恵子が自分のパジェロに
麻紗美を乗せて家に着く。それまでには赤木と優子で夕食を整えていて、到着を
待って妙な祝宴がスタートした。西浦と瑠美、瀬田と恵子、どちらもが作務衣を着
込んだだけの瀬田宿らしい新郎新婦。今回は赤木も斉藤も、優子にも、さらに前
回急な参加で間に合わなかった山崎にも砂田にも真新しい作務衣が用意された。
「こうして揃うと、なんか忍びの里みたいっすね。へへへ」
 西浦がタコなことを言い出して、隣りに座る瑠美に睨まれる。
 間に薪ストーブがあるにせよ六畳二間にこれだけ揃うとさすがに狭い。台所へ
出入りする都合から奥側の六畳を上座とし、そこに二組の男女が並び、そのほか
テキトーといった気楽なスタイル。
 皆が座って瀬田が言った。
「西の奴が植えたナスが育って今回皆で食べるわけだが・・」
 瑠美が鼻で笑ってよそ見をし麻紗美と顔を合わせてほくそ笑む。
 瀬田は続けた。
「その前にみんなに言っておきたい。今回からメンバーに加わってもらう斉藤さ
んと古谷優子ちゃん、山崎も砂田もそうだし、赤さんもそうなんだが」
「だからぁ、その言い方やめろって」
 と、赤木が突っ込み、皆は笑った。
「赤ちゃんでいいんだってばー。あははは」
 麻紗美がちゃかして赤木に頭をひっぱたかれる。瑠美は嬉しさを噛むように
穏やかな笑みをたたえていた。

 軽い咳払いをポーズして、瀬田は言った。
「さて、はじめるかということで。まずは西と、いかにどうしてそうなったのか、い
まもって信じられんが、瑠美さんとのご結婚。おなかにはじきに四か月目に入る
ベイビー在中。クラブで出会った一組目ってことで嬉しくてならん。どう考えても
泣けてくる。おめでとう瑠美さん。西浦もだ、おまえなぁ、冗談もたいがいにせいっ、
ふふふ」
 皆は拍手。やんややんや。西浦と瑠美が頭を下げて、西浦が言おうとした。
「じゃあ僕からちょっと。こういうことは・・うん、男から言うべきだと思うから」
 瑠美が横目に見つめている。
「一目惚れだったんです。受けてくれて夢のようで・・うん、赤ちゃんまでできちゃ
って・・」
 と言いかけて涙声。声にならない。涙がぽろぽろ。
「はいはい、わかったから、もういいわ、お黙り」
 と、瑠美に一蹴されて皆は笑う。その瑠美もうるうるしていて西浦を横目に言
うのだった。
「こんな人なんだもん、すぐ泣いちゃう。みなさん今日はありがとう、夢のようで
す。子供なんてとっくに諦めてたんだけど彼のおかげで孕まされた」
 その言い方に麻紗美が手を叩いてケラケラ笑い、皆もやんやと囃し立て・・。
 瑠美は言った。
「素敵なクラブに出会えたことが私を変えたの。瀬田さんもだし、みんなにもお
礼を言いたい、ありがとうね。頼りない旦那ですから、よろしく。こんな私にアタッ
クしたチャレンジャーなんだから、これでも誇りに思える人なんです」
 西浦は泣いてしまって、すぐ隣りに座る恵子に背中を撫でられていたのだっ
た。親友の喜びが山田にも涙を呼んだ。

 取り分けられた料理とビール。瀬田は唇をビールで湿し、さらに言った。
「でまあ・・ふふふ、次は自分のことで恐縮なんだが、こちらの恵子にプロポー
ズした。受けてくれてね。いまではショップを二人でやってる。式も決まらず、だ
いたい先様のご両親に会うのもこれからってことで、内々だけの、しかも秘密の
結婚式ってことなんだが、二組揃って明日には知らせようと思ってる。恵子と瑠
美さん、瀬田宿の新妻二人をどうかよろしく。愛してるよ恵子」
 ヒューヒューと赤木が口笛、しかしその赤木の目が赤い。恵子も涙を溜めてい
て、皆で拍手、皆で笑い、皆で騒ぐ。
 麻紗美が言った。
「そこでキスよ、早よせんかい」
 瑠美がキッと睨みつけ、恵子は恥じらってうつむいた。瀬田の目配せで西浦
は瑠美を立たせ、瀬田は恵子の手を取って、オイルランプに照らされるなんとも
ボロい廃屋で二組の夫婦はキスをした。西浦は嗚咽を漏らして泣きながら瑠美
に抱かれ、恵子は逞しい瀬田に抱かれて体がしなった。
 プレゼントや花束といった既成の祝福はここにはなかった。拍手を浴びなが
ら揃って座り直しているときに、瀬田はふと、山田と優子が目配せし合って喧嘩
中・・そんなムードを感じたのだった。
「どうした山?」
「えっ・・あ、いや別に」
 ふと見ると優子が赤くなってそっぽを向いてる。まさか。瀬田も恵子も直感し
た。
 赤木が横から言った。
「なんだよ、おまえら、言いたいことがあるなら言え、コソコソと」

 そしたら山田。ふたたび優子と見つめ合い、しぶしぶ優子が承諾した・・そん
な感じ。山田はつい先日、ショップの店番に優子を呼んで二人の時間をつくって
いる。瀬田は苦笑。
「ははぁ、さてはおまえら、このあいだの・・」
 山田はめずらしく顔を赤くして言った。
「あやや、そういうわけじゃないけど・・でも僕、優ちゃんに付き合ってって言った
んです」
 赤木が茶化した。
「ほーほー、そんでもう押し倒したってか? あっはっは!」
 優子が違う違うと真っ赤になって手で扇ぎ、山田が苦笑しながら応じた。
「そこまではまだ・・でも僕ら、付き合うことになったから、みんなにも知っておいて
ほしくって」
 初回のキャンプで山田に惹かれ、次回は独りでやってきた。男性恐怖症と語っ
た優子。瀬田宿の中で自らを奮い立たせてリセットを決意した。真面目でおとな
しく瀬田宿にも懸命な山田だから安心できたのだろうと瀬田は感じた。
 赤木は瀬田を見て首を竦めた。
「参ったよ瀬田、あっちでもこっちでも。瀬田宿には参ったよ、マジで人を変えち
まう。しかしよかった、こいつら二人ずっと前から知ってるが、どっちもどっちでハ
ッピーエンド」
 そう言われた山田が真顔で応じた。
「西の奴には引け目があって、じつはずっとそうだったんです。僕は理屈、西は
感情。行動力でも勝てないって思ってて」
 そしたらそこで瑠美が言った。
「強くなったね山ちゃんも。自分のこと言うのって勇気がいるわ。優ちゃんを大切
にね、きっといい子なんでしょうから」
 優子は、今日が初対面の瑠美に目を向け、しかし即座に山田へ視線を流して
いた。山田を信じていいものかと確かめるような面色で。
 山田はきっぱりと言う。
「はい、それはもういい子です。前回のキャンプから優ちゃんのことが好きにな
って、ずっと想ってましたから」
 山田が皆の前で言ったことで優子は決心がついたよう。ちょっとはにかみ、う
つむいてしまったけれど、穏やかな女の笑みを浮かべていた。
 麻紗美にとって優子ははじめて。山崎と砂田にとっては瑠美がはじめて。しか
し二組の結婚報告と山田の告白で壁が消え、皆で食べて笑える夜になっていく。

 皆それぞれグラスを手に動いては座りを繰り返して楽しむ中で、あるとき瑠美
のそばに麻紗美が座って話している。そしてそれを見計らったように山崎と砂田
の二人がグラスを手にして歩み寄る。二人は作務衣に着替えていたから私服の
違和感はなかったのだが、二人揃ってヘアースタイルが女っぽいショートで、し
かも色が浅く、明らかにムードが違う。瑠美は、前回キャンプに参加した山田を
通じ西浦を経て又聞きで聞いていただけであり、二人のことはほとんど知らない。
麻紗美が間に入って、あのときの優子とのことまでも、いきさつをかいつまむ。
 山崎も砂田も、愛に身を焦がす瑠美のような生き方に憧れていた。そんな張
本人二人を目の前にして、麻紗美から性癖の一端までも聞かされた瑠美。ちょ
っと笑って二人を見つめ、それから瑠美は言うのだった。
「それもこれも人格とは無関係だわ。優ちゃんのこと包んであげられた二人は尊
敬できる。そこは瀬田さんがさすがなんだけど、それにしたって二人はやさしい人
でしょう。BLだろうがMだろうが性意識なんて自由の根源ですからね、胸を張っ
てればいいんです」
 砂田が言った。
「あれから僕らも話してたんです。隠したって辛くなるだけ。カミングアウトしてい
こうって。瀬田宿で素直になれるのは隠さず話せたからなんだって」
 瑠美は言った。
「そうね、うん、そう思うわよ。言いたい奴には言わせておけばいいんだもん。こ
ちらこそよろしくね」
 山崎が言った。
「とんでもないです、僕ら二人、どうかよろしくお願いします。瑠美さんは憧れな
んです」

 そのときふと麻紗美が周りを見渡すと、眸を向ける優子の視線と眸が合った。
優子は微笑み、麻紗美も微笑んでうなずく素振り。
 そして、そんな様子を見逃さない斉藤が、そのときたまたま横にいた瀬田に
言った。
「・・瀬田宿の聖地とか」
「は?」
「さっきの沢だよ。そんなようなふれ込みで何かできんかと考えてみたんだが」
「クラブとして祝うようなときにってことですか?」
「たとえばね。そうすれば入る者を絞れるからな。男女二人で一夜をしっぽりと」
「ふふふ、なるほど、しかしあそこじゃちょっと」
「どうして?」
「いくら何でも怖すぎですよ、遭難したのと大差ない」
「ううむ、だよな。泣くよな、きっと・・ダメか」
 瀬田と斉藤が二人でコソコソ笑い、赤木が気づいて身を乗り出した。瀬田が
かいつまんで話してみると。
「森のカフェなんてどーよ? 沢の水でコーヒーつくって五百円とか千円とか?
オプションツアーでいいんだよ。スタッフが管理すりゃぁ問題ないだろう? 後は
そーだな・・さもなくば二人だけの記念撮影。若けりゃ森の中でヌードもおっけ。
瑠美さんプロだろ、そっちのよ?」
 瀬田と斉藤は顔を見合わせた。あれほどの景色なら、はるばるやってきた記
念の写真にはぴったりだ。
 しかし瀬田は言った。
「それダメだね、おなかに赤ちゃん」
「なあにやれるさ。カメラ習えばいいだけじゃん、最初から諦めるな」
 カンタンに言ってのける赤木を見ていて、いまにして思うと西浦そのまま、同じ
タイプだと瀬田は感じた。

 赤木は声がデカかった。聞きつけた優子が歩み寄る。
「それならあたしが。キャンプには毎回出るつもりですし、あたし自分を変えたく
て。カメラ、瑠美さんに習いますし自分でも勉強したいし」
 瀬田、斉藤、赤木の三人が眉を上げ合い、斉藤が瀬田へ向かって言った。
「まずやってみることさ。優ちゃんのヌードを瑠美さんに撮ってもらってインスタ
なんかに載せつつ、真綿で絞めるように宣伝していく・・むふふ」
 それはジョーク。優子が横目で応じた。
「なんかイヤぁな表現ですね、真綿で絞めるって・・ふふふ」
 赤木が言った。
「おいおいツボはそっちかい? ヌードが嫌なんじゃなくて?」
 赤木が声がデカかった。ヌードなんて言葉が出れば皆が一斉に注目する。
 優子は言った。
「裸になるのはいいんです、どんなことをしたって、あたしは自分を確かめたい
の。そうじゃないと彼に対してだって自信が持てない」
 それを聞いた瑠美が、そばにいた山田の背中をバシンと叩いた。しっかりせ
い山田! 山田はうなずく。優子への想いが深くなった一瞬だった。
 山田は言った。
「じゃあ瑠美さん、いいですか?」
「もちろんよ、引き受けたわ。優ちゃん必死よ、あの頃の瀬田さんそっくりなんだ
もん。だったら私もマジで撮る。作品にさせてもらうから。ま、とは言え、今回はレ
ンズがちょっとアレだけど」
 今回も瑠美は一眼レフは持ち込んだ。しかし広角~中望遠のズームレンズが
一本きり。
 山崎と砂田が顔を見合わせ、うなずき合って、追いかけた。
「でしたら僕らも。瑠美さんなら、お願いしてでも撮ってほしいぐらいです」
 瑠美が言う。
「そっちもヌード?」
 砂田が応じた。
「じつはそのへんも話してて。僕らって他人から見ればどう映るんだろって」
 瑠美はため息。黙って成り行きを聞いていた麻紗美がぼそりと言った。
「コレだもんね・・いったい何のクラブなのやら方向が・・」
 それで皆は一瞬黙り、周囲と顔を見合わせて声を上げて笑いだす。
 しかし瀬田はそれも嬉しい。メンバー同士が触発し合って歩むことには賛成
できるし応援したい。
 しかしその傍らで斉藤は鼻の頭を掻きながら、あまりの話の急転に苦笑した。

 その翌朝、外が白む頃から優子は起き抜け、その気配で山崎と砂田も眸を
覚ます。続いて瑠美が眸を開けて、瑠美の身動ぎに気づいて眸を向けた優子
に瑠美は小声で言った。
「本気?」
「はい、ちょっとしか眠れなくて私・・」
 動き出す四人の気配に斉藤が気づいて眸を開けた。
「マジかよ?」
「みたいね」
 そう瑠美が応じると斉藤はシュラフを抜けて体を起こした。
「静かにな。俺がついてく。蛇もいるそうだから」
 キャンプの夜、男も女も作務衣を着たままシュラフにくるまり、起き抜けると
すぐに外へと出て行ける。
 瑠美はカメラの入った小振りのナップサックを背負っていて、斉藤は手ぶら、
優子はタオルだけを手にし、山崎と砂田の二人も手ぶらで外に出る。すっきり
晴れた山里の爽やかな朝。涼しいそよ風が流れていて、絶好のキャンプ日和り
になるはずだった。
 外に出ると斉藤が家の横に立てかけてあった長さ一メートルほどの丸棒を手
に取った。明け方はとりわけ蛇が出る。山に慣れた斉藤にとっては当然の備え
だった。斉藤を先に山崎が追い、妊婦の瑠美を挟んで優子、最後に砂田が後ろ
を歩く。それも斉藤の指示である。

 早朝からの五人の動きに恵子はもちろん気づいていたが、あえて眸を開けず
にやりたいようにさせてやる。瀬田も赤木も、山田も西浦も、男四人はぐっすりだ
ったが、麻紗美だけは気づいていて小声で言った。
「行っちゃったね」
「ふふふ・・うん。衝き動かす何かを感じたんだわ。きっかけを探してる」
 麻紗美はちょっと笑ってうなずいて、それからまた眸を閉じた。恵子はそのまま
台所に降りてカマドに火を入れ、朝への支度をはじめていく。都会でなくてもいま
どきの家なら電気ガス水道なのだが、そのどれもがここにはなかった。一度は目
を閉じた麻紗美だったが、寝ている周りを気にかけながらそっと起き抜け、恵子
のそばへと歩み寄る。
「目が覚めちゃったよ。三人の気持ちを思うとやさしくなれるね。どっちもまっす
ぐなんだから」
 高校生になったばかりの麻紗美も、瀬田宿の皆、それから多くの参加者の中
に混じっていれば急速に変わっていくだろう。同級の子たちが経験できない大切
なものはここには多いと恵子は思う。

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